(民俗(2)6)
さて人間に催姙の薬あらば、畜類にもそんな物あるべしとの想像から出たものか、肥前平戸より三里ほどなる生月島に、古来牧馬場あり、かつて頼朝の名乗生嘱を出すという。里伝にこの島に名馬草を産し、牝馬これを食えば必ず名馬を産めど、絶壁間に生える故馬これを求めて往々墜ちて死すと(『甲子夜話』続編五七)。その前文から推すにその処甚危険で馬しばしば足を失するより出た話らしい。
予在外中、維新前外国通商およびその商品について毎度調査した結果、右にほぼ述べた通り、媚薬とか房中剤とか実際不緊要な物に夥しく金銀を外邦へ失い居ると知り、遅蒔きながら何とかその腹癒せもならぬものかと、左思右考してわずかに一策を得た。若年の時真言宗の金剛界曼陀羅を見ても何の事か分らず、在英中土宜法竜僧正から『曼荼羅私鈔』を受け読み噛ると、塔中三十七尊を記せる内、阿、宝生、無量寿、不空成就の四仏が嬉鬘歌舞の四菩薩を流出して大日如来を供養し(内四供養)、大日如来件の四仏を供養せんとて香華燈塗の四菩薩を流出す(外四供養)、塗とは、〈不空成就仏、塗香を以て供養す、釈迦穢土に出で、衆生を利益せんと、濁乱の境界に親近す、故に塗香を以て穢濁を清む、この故に塗香を以て供養するなり〉とあった。
これで香菩薩は焼香、塗菩薩は塗香もて供養すと判った。塗香はざっと英語のアングエントに当り、医学上の立場からアンクション、宗儀上はアノインチングというらしい。油脂牛酪等を身に塗り、邪気を避け病毒を防ぎ、また神力を添え心身を清浄にする事で、暖熱の地の民はこれを日常大緊要の務めとする者多く、豕の脂など塗るを地方の人が笑うと、竹篦返しに、汝らこれを塗らぬ故身体悪臭を放つと蔑せらるる例は毎々見聞した。それもそのはず、裸で居続くるにかかる物を塗らぬと毒虫に螫されやすく、気温が変るごとに感冒発熱するところ多い。かようの塗料を追々改良して種々の香剤を加え装飾の具と成したのが塗香で、諸宗教の威儀の具ともなったのだ。
ただし『大英百科全書』十一版一巻塗油の条に、諸宗教諸人種の儀式皆これを用うと書いたは誤謬で、わが邦にはかつてこれを行わず、仏教の修法に香湯に浴する事は聞くが、油脂等を身に塗ったと聞かぬ。しかるに後世髪を結う風大いに発達して鬢附油起る。附け処は異なるが、その製は塗香と兄弟たるもので、その材料加薬に外国品多きより推すと、けだし外国の髪油と塗香より転成したらしい。
追々束髪行われて鬢附油の用少なくなり、したがって昔のごとく種類も多からず、その品も大いに劣り行くを見て、当時欧州視察に来た商人輩に、物窮すれば通ずる理窟故、鬢附油に関する口伝秘訣等が失せ果てぬうち心得置き、かつは塗香多く用いる国々の実況を視察参照し、極めて上製高尚な塗香を作ってわが邦特に調香の美術あるを示すと同時に、至って廉価ながら豚や魚の脂に優る物をも製し売り込んで、昔取られた金を取り返したら如何と勧め、同時にマレー人等のサロング(腰巻)を安く美麗に作って持ち込めと説いたが、孔子も時に逢わずでただ一人実行せなんだ。その後十年ばかりしてサロングを積み出す人ありと聞いたが、塗香の事は今に誰も気が付かぬか手を出した人あるを聞かぬ。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収