蛇に関する民俗と伝説(その32)

蛇に関する民俗と伝説インデックス

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     ただに形の似たばかりでなく、蛸類中、貝蛸オシメエ・トレモクトプス等諸属にあっては、雄の一足非常に長くなり、身を離れても活動し雌に接して子を孕ます。往時学者これを特種の虫と想い別に学名を附けた。その足切れ去った跡へは新しい足が生える。

    古ギリシア人は日本人と同じく蛸飢ゆれば自分の足を食うと信じたるを、プリニウスそれは海鰻はもに吃い去らるるのだと駁撃した。しかし宗祇『諸国物語』に、ある人いわく、市店に売る蛸、百が中に二つ三つ足七つあるものあり、これすなわち蛇の化するものなり。これを食う時は大いに人を損ずと、怖るべしと見え、『中陵漫録』に、若狭わかさ小浜の蛇、梅雨時章魚たこに化す。常のものと少し異なる処あるを人見分けて食わずといえる。

    本草啓蒙』に、一種足長蛸形章魚たこに同じくして足いと長し、食えば必ず酔いまたはんを発す。雲州でクチナワダコといい、雲州と讃州でこれは蛇の化けるところという。蛇化の事若州に多し。筑前では飯蛸いいだこの九足あるは蛇化という。八足の正中に一足あるをいうと記せるごとき、どうもわが邦にも交合に先だって一足が特に長くなり体を離れてなお蠕動ぜんどうする、いわゆる交接用の足(トクユチルス(第五図[#図省略]))が大いに発達活動して蛇にた蛸あり。それを見謬って蛇が蛸にるといったらしい。

    キュヴィエーいわく、欧州東南の海に蛸類多き故に、古ギリシア人蛸を観察せる事すこぶるつまびらかで、今日といえども西欧学者の知らぬ事ども多しと。わが邦またこの類多く、これを捕るを業とする人多ければ、この蛇が蛸に化る話なども例の一笑に附せず静かに討究されたい事じゃ。

    それから蛸と同類で、現世界には化石となってのみあとを留むるアンモナイツは、漢名石蛇というほどいた蛇によく似いる。したがってアイルランド人はその国にこの化石出るを、パトリク尊者が国中の蛇をことごとく呪して石となし、永くこれを除き去った明証と誇る由(タイラー『原始人文篇プリミチヴ・カルチュール』一巻十章)、一昨年三月号一六三頁にその図あり。

     『続歌林良材集』に、菖蒲が蛇になる話あり。『方輿勝覧ほうよしょうらん』に、湖北岳州府の池に棲んだ大蛇を呂巌りょがんが招くと出て剣に化けたといい、美女の髪が蛇になった話は、藤沢氏の『伝説』信濃巻に出で、オヴィジウスの『変化の賦メタモルフォーセース』には、人の脊髄が蛇となると述べた。ルーマニアの伝説に拠ると、人の血を吸うのみは蛇から出たのだ。

    いわく、太古ノア巨船アルクに乗って洪水を免るるを、何がな災を好む天魔、きりを創製して船側を穿ち水浸りとなる、船中の輩急いで汲み出せども及ばず、上帝これを救わんとて、蛇に黠智かっちを授けたから、『聖書』に蛇のごとくさとしといったのじゃ。

    ここにおいて蛇来ってノアに、われ穴を塞いで水を止めたら何をくれるかと問うた。さいうなんじは何を欲するかと問い返すと、蛇洪水んで後、われと子孫の餌として毎日一人ずつくれと答う。途轍とてつもない事と思うても背に替えられぬ腹を据えて、いかにも日に一人ずつ遣ろうと誓うたので、蛇尾のさきを以て穴を塞ぎ水を止め天魔敗走した。洪水息んでノアいけにえたてまつって上帝に謝恩し、一同大いに悦ぶ最中に蛇来って約束通り人を求めて食わんという。

    ノアこの人少なに毎日一人ずつ取られては、たちまち人種が尽きると怒って、蛇を火に投じ悪臭大いに起ちて上帝を不快ならしめた。由って上帝風を起し蛇の尸灰を世界中へ吹き散らし、蚤その灰より生じて世界中の人の血を吸う。その分量を合計すればあたかも毎日一人ずつ食うに等しいから、ノアの契約は永く今までも履行され居る訳になると。

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    「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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