(蛇と財宝3)
エストニアの俚談にいわく、ある若者奇術を好み、鳥語を解したが、一層進んで夜中の秘密を明らめんと方士に切願した。方士その思い止まるが宜しかろうと諫めたれど聞き入れぬから、そんならマルク尊者の縁日の夜が近付き居る、当夜蛇王が七年目ごとの例で、某処で蛇どもの集会を開くはず、その節蛇王の前に供うる天の山羊乳を盛った皿に麪麭一片を浸し、逃げ出す先に自分は口に入れ得たら、夜中の秘密を知り得ると教えた。
やがて尊者の縁日すなわち四月二十五日が昏れると、件の若者方士が示した広い沢へ往くと、多くの小山のほか何にも見えず、夜半に一小山より光がさした。これ蛇王の信号で、今まで多くの小山と現われて動かず伏しいた無数の蛇ども、皆その方へ進み行き、小山ついに団結して乾草堆の大きさに積み累なった。若者恐る恐る抜き足して近寄り見れば、数千の蛇が金冠を戴いた大蛇を囲み聚まりいた。
若者血凝り毛竪つまで怖ろしかったが、思い切って蛇群中に割り込むと、蛇ども怒り嘯き、口を開いて咬まんとすれど、身々密に相纏うて動作自在ならず、かれこれ暇取る内に、若者蛇王の前の乳皿に麪麭を浸し、速やかに口に含んで馳け出した。衆蛇追躡余りに急だったから、彼ついに絶え入った。旭の光身に当って、翌旦蘇り見れば、かの沢を距つる既に四、五マイル。
早何の危険もないから、終日眠って心身を安め、次夜果して望むところの霊験を得たが、試しのため林中に入るとたちまち浴場が現われ、ただ見る金の腰掛けと、銀の垢磨り、銀の盥が美々しく列なりあった。
小杜の蔭に潜んで覗きいると、暫時して妍華超絶止に別嬪どころでなく、真に神品たる処女、多人数諸方より来り集い、全く露形して皎月下に身を洗う。正にこれ巫女廟の花は夢の裡に残り、昭君村の柳は雨のほかに疏かなる心地して、かの者餓鷹のを見るがごとく、ただ就いてこれ食いおわらんと要したが、また思い返していずれ菖蒲と引き煩い、かれこれと計較る内、惜しきは姿、東方明けなんとすると、一同たちまち消え失せた。
これら美女、実は草野の女王の娘どもで、各森林の精たり。その後今一度彼らの艶容を窺わんと、夜々脚を林中に運べど、処女も浴場も再び現われず、あてもない恋の焔に焦れ死んだ。されば忘れても夜中の秘密研究など志すべきでない。
それから『想山著聞奇集』に、武州で捕えた白蛇の尾尖に玉ありたりとて、図を出す。尾尖に大きな小豆粒ほどの、全く舎利玉通りなる物、自ずから出来いた由見ゆ。十六年ほど前、和歌山なる舎弟方の倉に、大きな黄頷蛇の尾端夙く切れて、その痕硬化せるを見出したが、ざっとこの図に似いた。余り不思議でもなきを、『奇集』に玉と誇称したのだ。毎度尾を引き切れた蛇はかようになるらしく、ロンドン等の地下鉄道を徘徊する猫の尾が、短くなると同じ理窟だ。かく尾切れた蛇を神とし、福を祈る風大和に存すと聞いた。
『郷土研究』一巻三九六頁に見た中国の蛇神トウビョウも蛇に似て短いとは、かかる畸形の一層烈しいのでなかろうか。インドのカーシャ丘地方の迷信に、蟒蛇が人家に寓れば大富を致す。悪人諸方を廻り人を殺して、耳鼻唇髪を切り取り、蟒蛇に捧げて自家に招きおらしむ。土民これを怖れて単身藪林に入らず、蟒蛇を奉崇する家は、何ほど物を売るも更に減らず、したがって金が殖えるばかりちゅう旨い話だ(一八四四年版『ベンガル亜細亜協会雑誌』十三巻六二八頁)。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収