鮫
○鮫(サメまたはフカ)、東インド諸島及びアフリカでサメを甚だしく尊崇することが F. Schultze, 'Fetichism,' trans, New York, 1885, p. 79 に出て、セイロン、トレス峡などでは漁には臨んで種々に鮫を厭勝してその害を免れようと努める。Tennent, op. cit., p. 398; Frobenius, 'The Childhood of Man,' London. 1909, p. 242. タヒチ島のダツア・マットは海の大神で、鮫を使う。ただし青鮫に限り、この鮫は祠官の命令に従って進退し、舟が覆ったとき、他人を食っても祠官を食わない。祠官を乗せて20里も泳ぐことがある。この神の信者を食わず、この鮫を舟行の神とし、社を建てる。古伝にタヒチ島は元は鮫であったということが我が国の蜻蛉の形であったというのに似ている。
ハワイのモロカイ島では古、海角毎に鮫を神とした祠を建てた。諸魚各々定期があって、年々この島に到る。その種毎に初物を取って鮫神に献じた。思うに、古定まった季節に、鮫がこれらの魚を追って来たのを見て、神魚が人を利すと心得、これを神としたのであろうと、エリスが言っている(Ellis, 'Polynesian Researches,' 1831. i. p. 166., Seqq., iv. p. 90., Waitz, l.c., s. 319)
魚が人を乗せて泳ぐことは、支那で琴高が鯉に乗り、陳候の子元が自ら水に投じたのを魚が負って救ったなどの例がある(『淵鑑類函』巻四四二)。西洋諸国でもギリシアの美少年神エロスが海豚に乗ることがある(Gubernatis, l. c., p. 340)。ハイチ島発見のとき人を乗せて湖を渡すマタナス獣がいたなどに似ていることである(Ramusio, tom. iii. fol. 33.)。
本邦では伊勢国の磯部大明神は今でも船夫漁師に重く崇められる。鮫を使者とし、厚く信じる者が海に溺れそうなとき、鮫が来て負って陸に届けるという。参詣の徒が神木の樟の皮を申し受け所持し、鮫が船を襲うときこれを投ずればたちまち去るという。タヒチ島の例と同じく、神使の鮫は長さ4〜5間、頭が細く、体に斑紋がある、エビスと名づける種に限る。
毎年祭礼の日、この鮫五七頭が社に近い海浜に泳いで来る。もし前年中人を害した鮫がいるときはこれを陸に追い上げ、数時間これを苦しめて罰す。この鮫が海上に現われるとき、漁夫はこれを祭り祝う。「エビス付き」と名づける。毎日一定の海路を泳いで来るが、無数の鰹がこれに随行するのを捕え、莫大の利を得る。信心厚い漁夫の船下に潜み泳ぐ。信の薄い輩の船が来るとたちまち去る。
古書に鮫を神としたことは見当たらない。ただし鰐を神としたことは多い。十余年前ある人が「日本新聞」に投稿して「我が国のワニはワニザメと称する一種の鮫である。その形が多少漢文の鰐に似ているので杜撰にこれを充てたのだ」とあった。まことに卓見である。『大和本草』『和漢三才図会』などに鰐を載せる。いずれも海中の鮫類と見える。
今日、パレスチナの海辺に鰐がいて羊を害するというのは、じつは鮫であろうという説は参考にすべきだ(Pierotti, 'Cutoms and Traditions of Palestine, 1864, p. 39.)。また実際鰐がいない韓国で筑紫の商人が虎が海に入って鰐を捕らえるのを見た話がある(『宇治拾遺物語』三十九章)。17世紀に韓国に漂着して13年居留したオランダ人の記録にも、その水に鰐が多いことを筆しているが、いずれも鮫のことと思われる。
これに漁を祈る者は5日7日と日数を限って漁獲を求める。日限終わるまで漁し続けるときは破船する。その船底を見ると煎餅のように薄く削ってある。これはこの鮫が背の麁皮で削り去ったのだと。古老の漁人の話に、海浜に夷子の祠が多いのはじつにこのエビス鮫を斎き祀っているのだと。
神代巻に、海神が1尋の鰐に彦火々出見尊を送り還らせることがある。また豊玉姫が産場を夫神に覗かれたのを憤り、化して8尋の大鰐となり、海を渡って去ったという。鮫を神霊ありとする由緒が古いことが見て取れる。
上で言った、鮫が罪ある鮫を罰する話も古くからあったのであろうか。『懐橘談』に「出雲国安来の北海にて天武帝2年7月、1人の女が脛を食われる。その父が哀しんで神祇に祈ったところ、ほんの少しの間に百余の鰐が1匹の鰐を囲繞して来る。父がこれを突き殺すと諸鰐が去る。殺した鰐を割くと女の脛が出た」と見える。真葛女の『磯通太比(いそづたひ)』にある「奥州の海士がワニザメに足を食い去られ死んだのを、13年目にその子が年来飼っていた犬を殺し、その肉を餌として鰐を捕らえ、復讐した」という話はこれより出たのであろう。