蜜蜂
○蜜蜂は神に捧げる蜜酒(ミード)を原造することから、神使とされ、今でも欧州で人が死ぬと、すぐに家で飼っている蜜蜂に訃を伝えて、楽土に報告させる風習がある(Notes and Queries, May. 30, 1908, p. 433)。英国では蜜蜂が理由なく巣を損ねるのは、家主が死ぬ前兆と信ずる者が多く(Hazlitt, 'Faiths and Folklore,' 1905, vol. i. p. 38.)、支那では蜂が分かれる日を吉日として、婚姻、造作始めをし、また市を立てる所がある(予の Bees and Lucky Days' N. & Q., Oct. 10, 1908, p. 285.)。
本邦ではこのようなことを聞かない。深山に石蜜・木蜜があるが、古くはこれを探らなかったのだろうか。その名は美和というが実は漢音である。推古帝の朝、百済の王子豊璋が蜜蜂を三輪山に放って飼おうとしたが繁殖しなかった(藤岡平出2氏『日本風俗史』上編63頁)。『延喜式』に諸州の貢物を並べているが、蜜蜂を挙げていなかったと記憶する。後世にもその産は甚だ稀であったのだろうか。
予が大英博物館で読んだ'Breve Ragguaglio del Isola del Giapone ristampato in Firenze,' 1585(天正13年、九州の諸族がローマに派遣した使節より、聞いたところを刊行した本)に「日本に蜜蜂がいないので、蜜も蜜蝋もない。その代わりに1種の木があり、好季節にこれを傷つけ、出る汁を蒸留して鑞代わりの品を採るが、蜜蝋ほど稠厚ではない」とあるのは。漆のことを言っているのであろうか。
とにかく蜜蜂を飼うことが稀であったので、蜜蜂を神異とした話も聞かないのだ。ただし『日吉山王利生記』巻三に蜂は山王の使者と見え、『十訓抄』一に余五太夫が蜜蜂が蜘蛛の巣に掛かっているのを救った恩返しに、蜂の群が来て助勢し敵を亡ぼしたので、死んだ蜂の跡を弔おうと寺を建てた話があるが、特に蜜蜂とは記していない。