(蛇の足3)
イタリアのグベルナチス伯説に、露国の古話に蛇精が新米寡婦方へその亡夫に化けて来て毎夜伴に食い、同棲して、晨に達し、その寡婦火の前の蝋のごとく痩せ溶け行く、その母これに教えて、他と同食の際わざと匕を堕し、拾うため俯いて他の足を見せしむると、足がなくてニョッキリ尾ばかりあったので、蛇精が化けたと判り、寡婦寺に詣で身を浄めたといい、北欧の神話にも、ロキス蛇が馬に化けた時足から露顕したといい、インド『羅摩衍譚』に、雌蛇のみ能く雄蛇の足を弁え知るとある。
これらは皆夫の陰相を尾と称え、その状を確かに知るは妻ばかりという寓意だと解った。グ伯は梵学者また神誌学者としてすこぶる大家だが、ややもすれば得意の言語学に僻して、何でも陰具に引き付け説く癖がある。蛇の足を覗うと尾だったてふは、単に蛇は主として尾の力で行くと見て言ったと説かば、陰具などを持ち出すにも及ぶまい。
回教学有数の大著、タバリの『編年史』にいわく、上帝アダムを造り諸天使をしてこれを敬せしめしに、エブリスわれは火より造られたるにアダムは土で作られたから、劣等の者を敬するに及ばぬといい、帝瞋りてエを天より逐い堕す。エ天に登りて仕返しをと思えど、天の門番リズワンの大力あるを懼れ、蛇を説いて自分を呑んで天に往き密と吐き出さしめ、エヴァを迷わしアダムを堕した。
アダム夫妻もと只今の人の指と足の趾の端にある爪の通りの皮を被りいたが、惑わされて禁果を吃うとその皮たちまち堕ち去り丸裸となり、指端の爪を覩て今更楽土の面白さを懐うても追い付かず。
蛇もまた人祖堕落の時まで駱駝ごとき四脚を具え、人を除けてはエデン境内最も美しい物じゃったが、禁果を偸み食った神罰たちまち至って、楽土諸樹木の四の枝が低れ下り、四つの罪人永く追いやられ、アダムはヒンドスタンに、エヴァはジッダに、蛇はイスパハンに、エブリスはシムナーンに謫居した。
上帝蛇を悪むの余りその四脚を去り、永えに地上を跂い行かしむと。今の欧米人これを聞いたら笑うに極まっているが、実は臭い物身知らずで、彼らの奉ずる『聖書』にも十二世紀まではかかる異伝を載せあった由。
日本でも釈迦死んで諸動物皆来り悲しみしに、蚯蚓だけは失敬した故罰として足なしにされたというが、紀州には蛇の足に関する昔話あり、西牟婁郡水上てふ山村で聞いたは、トチワビキてふ蛙、昔日本になかったが、トチワの国より蛇に乗って渡り来る。報酬に脚を遣ろうと約したに今以て履行せず、蛇恨んで出会うごとこの蛙を食うに、必ず脚より始むという。その蛙を検するに何処にもある金線蛙だった。トチワすなわち常磐国については、大正元年十一月の『人性』に拙見を出した。
似た話もあるもので、東牟婁郡高田村に代々葬後墓を発き尸を窃み去らるる家あり。これはその先祖途中で狼に喫われんとした時、われに差し迫った用事あり、それさえ済まば必ず汝に身を与うべしと紿いてそのまま打ち過ぎしを忘れず、その人はもちろん子孫の末までもその尸を捉り去り食うという。上述水上の里話を聞いてから試すと、予が見得た限り蛇は蛙を必ず脚より食うが、亀は頭より蛙を食う。
しかるに、アストレイの『新編紀行航記全集』巻二の一一三頁に、西アフリカのクルバリ河辺に、二十五また三十フィートの大蛇あって全牛を嚥むが、角だけは口外に留めて嚥む能わずとポルトガル人の話を難じ、すべて蛇は一切の動物を呑むに首より始む、角を嚥み能わずしていかでか全牛を呑み得んと論じある。なるほど鼠などを必ず首から呑むが、右に言った通り蛙をば後脚から啖い初むる故一概に言う事もならぬ。インドのボリグマ辺の俗信に、虎は人を殺して後部より、豹は前方より啖うという(ボールの『印度藪榛生活』六〇五頁)。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収