(蛇の特質4)
毒蛇が窘められた時思い切って自分の身を咬んで絶命するという事しばしば聞いたが、毒蛇を酒精に浸すと困んで七転八倒し、怒って自分の体に咬み付いたまま死ぬ事あり、また火を以て蠍を取り囲むにその毒尾の尖を曲げて脊を衝いて死する事もあるが、これらは狂人が自身を咬むと等しく、決して企ててする自殺でなくまた毒分が自身を害するでもないから、ただ自殺と見えるばかりだ。朝鮮にある沖縄人から前日報ぜられたは、以前ハブ蛇多き山を焼くとかように自身を咬んだまま死んだハブばかり間見当った由。
仏が寺門屋下に鴿蛇猪を画いて貪瞋痴を表せよと教え(『根本説一切有部毘奈耶』三四)、その他蛇を瞋恚の標識とせる事多きは、右の擬自殺の体を見たるがその主なる一因だろう、古インド人も蛇自殺する事ありと信じたと見える。
たとえば『弥沙塞五分律』に舎利弗風病に罹り呵梨勒果一を牀脚辺に著けたまま忘れ置いて出た。瞿伽離見付けて諸比丘に向い、世尊毎も舎利弗は欲少なく足るを知ると讃むるが我らの手に入らぬこの珍物を蓄うるは世尊の言と違うと言った。舎利弗聞いてその果を棄てた。
諸比丘それは大徳病気の療治に蓄えたのだから棄つるなかれと言うと、舎利弗われこの少しの物を持ったばかりに梵行人をして我を怪しましめたは遺憾なり、捨てた物は復び取れぬと答えた。仏言わく、舎利弗は一度思い立ったら五分でも後へ退かぬ気質だ。過去世にもまたその通りだった。過去世一黒蛇あり、一犢子を螫した後穴に退いた。
呪師羊の角もて呪したがなかなか出で来ぬから、更に犢子の前に火を燃して呪するとその火蜂と化って蛇穴に入った黒蛇蜂に螫され痛みに堪えず、穴を出でしを羊角で抄うて呪師の前に置いた。呪師蛇に向い、汝かの犢を舐って毒を取り去るか、それがいやならこの火に投身せよと言うと蛇答えて、彼この毒を吐いた上は還これを収めず、たとい死ぬともこの意を翻さぬと言いおわって毒を収めず自ら火に投じて死んだが舎利弗に転生った。死苦に臨むもなお一旦吐いた毒を収れず、いわんや今更に棄つるところの薬を収めんやと。
『十誦律毘尼序』にこの譚の異伝あり。大要を挙げんに、舎婆提の一居士諸僧を請ぜしに舎利弗上座たり。仏の法として比丘の食後今日は飲食美味に飽満たりや否やと問う定めだったので、僧ども帰りて後仏が一子羅喉羅その時沙弥(小僧)たりしにかく問うに得た者は足り得ざる者は不足だったと答えた。仔細を尋ぬるに上座中座の諸僧は美食に飽きたが、下座と沙弥とは古飯と胡麻滓を菜に合せて煮た麁食のみくれたので痩せ弱ったという。
仏舎利弗は怪しからぬ不浄食をしたというを聞きて、舎利弗食べた物を吐き出し、一生馳走に招かれず布施を受けずと決心し常に乞食した。諸居士何卒舎利弗が馳走を受けくれるよう仏から勧めて欲しいと言うと、仏言わく舎利弗の性もし受くれば必ず受けもし棄つれば必ず棄つ、過去世もまたしかりとて毒蛇だった時火で自殺した一件を説き種々の因縁を以て舎利弗を呵り、以後馳走に招かれたら上座の僧まず食いに掛からず、一同へあまねく行き届いたか見届けた後食うべしと定めたそうじゃ。
而して件の毒蛇を呪する法を舎伽羅呪だと書き居る。そんなもの今もあるにや、一九一四年ボンベイ版エントホヴェンの『グジャラット民俗記』一四二頁に或る術士は符を以て人咬みし蛇を招致し、命じて創口から毒を吸い出さしめて癒す。蛇咬を療ずる呪を心得た術士は蛇と同色の物を食わず産蓐と経行中の女人に触れると呪が利かなくなる。しかる時は身を浄め洗浴し、乳香の烟を吸いつつ呪を誦して呪の力を復すと見ゆ。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収