古事記伝(こじきでん、ふることふみのつたえ)
『古事記伝』は、江戸時代の国学者、本居宣長の『古事記』の註釈書。約35年の歳月をかけて1798年(寛政10年)に成立。
古事記伝
南方熊楠の随筆:本邦に於ける動物崇拝(現代語訳19)
予は一向不案内なことではあるが、『古事記伝』五に、『和名抄』で水神また蛟を和名美豆知と訓じている。豆(つ)は之(の)に通う言葉、知は尊称で、野槌などの例のごとしとあるので、「ミヅチ」は水の主、また蛇の主、野槌は野の主ということであろう。
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その23)
『古事記伝』に拠れば、ノヅチは野の主の意らしい。予山中岸辺で蝮を打ち殺したつもりで苔など探し居ると、負傷した蝮が
孑孑
様に曲り動いて予の足もとに滑り落ち来れるに気付き、再び念入れて打ち絶やした事三、四回ある。したがって俗伝の野槌は、かように落ち来る蝮から生じた譚で、あるいは上世水辺の蛇を、ミヅチすなわち水の主、野山の蝮をノヅチ野の主と見立てたのかとも思う。
南方熊楠の随筆:十二支考 猴に関する伝説(その27)
猴の話と縁が遠いが、『古事記』は世界に多からぬ古典で、その一句一語も明らめずに過すは日本人の面目を汚す理窟故、猿田彦に因んでヒラブ貝の何物たるを弁じ置く。さて猿田彦が指を介に挟まれ苦しむうち潮さし来り、溺れて底に沈みし時の名を底ドクすなわち底に
著
く御魂といい、ツブ立つ時すなわち俗にヅブヅブグチャグチャなどいうごとく水がヅブヅブと鳴った時の名をヅブたつ御魂、泡の起る時の名を泡さく御魂というたとあるは、死にざまに魂が分解してそれぞれ執念が留まったとしたのだ(『古事記伝』巻十六参照)。
南方熊楠の随筆:十二支考 猴に関する伝説(その28)
本居宣長は
田毘古
神の名をに似たる故とせんは本末
違
うべし。獣のはこの神の形に似たる故の名なるべしと説いた(『古事記伝』巻十五)。これは「いやしけど云々、竜の類いも神の片端と詠みながら、依然神徳高き大神をいかんぞ禽獣とすべけんや」と言った『俗説贅弁』同然の見を脱せず、田毘古がに似たのでなくが田毘古に似たのだとは、『唐書』に、張昌宗姿貌を以て武后に幸せられた時、
佞人
楊再思が追従して、人は六郎の貌
蓮花
に似たりと言うが、正に蓮花が六郎に似たるのみといったとあるに似た牽強じゃ。