(心理3)
前に言った末吉氏は純粋の琉球人、篤学の士、予氏より未聞を聞く事多い。不毛の事につき氏に教えられて『松屋筆記』を見るに「ひたたけ並びにかわらけ声、無毛をかわらけという、ひたたけという詞『源氏』のほか物に多く見ゆ、いずれも混雑したる体なり云々、されば混渾沌※[#「風にょう+良」、391-3]などの字を訓めり、『体源抄』十巻練習事条に少御前が歌はカワラケ音にて非愛にヒタタケて誠の悪音なり、しかも毎調に愛敬ありてめでたく聞えしは本性の心賢き上によく力の入るが致すところなり云々、このかわらけ声というも瓦器のごとくつやも気色もなきにいうなり、男女の陰の毛なきをカワラケという、はた同じ心なり」とあり。
氏いわく「さすれば先生(熊楠)が足利時代よりかく唱えしとかといわれしも怪しきにあらず、わが琉球語には乾くをカワラクという、瓦器をカワラケと訓むもカワラク器の意か、人の不毛を乾燥せる土地に譬え得る故、カワラケは乾く意に出でしとすべし、阿婆良気や島は七島の毛無島も湿潤の気なきより起れる名ともいうべくや」とカワラケだらけの来書だった。しかし内宮神事の唄の意は、阿婆良気は七島よりなるといえど側なる毛無島を合算すると八島となるというらしく毛無と阿婆良気は別だ。
孔子もわれ老圃に如かずといった。とかくこんな事は女に質すに限ると惟うて例の古畠のお富を問うとその判断が格別だ。この女史いな仲居の説に、予が阿婆良気はアバラヤ(亭)同様荒寥んだ義で毛無と近くほとんど相通じたらしく、かくて不毛をアバラケ、それよりカワラケと転じ呼んだだろうと述べたはこの二島の名を混合した誤解で、毛無すなわち不毛、アバラケはマバラケで疎らに少しくあるの義で全く毛無と一つにならぬ。
そのアバラケを今日カワラケと訛ったので、おまはんも二月号に旧伝に絶えてなきを饅頭と名づく、これかえって太く凶ならず、わずかにあるをカワラケと呼び極めて不吉とすと書いたやおまへんかと遣り込められて廓然大悟し、帰って『伊勢参宮名所図会』島嶼の図を見ると阿婆良気島に果して少々木を画き生やし居る。
お富は勢州山田の産故その言拠ろありと惟わる。婦女不毛の事など長々書き立つるを変に思う人も多かろうが、南洋の諸島に婦女秘処の毛を抜き去り三角形を黥するとあり。諸方の回教徒は皆毛を抜く。その由来すこぶる古く衛生上の効果著しいところもあるらしいから、日本人も海外に発展するに随いこの風を採るべき場合もあろうと攷う。したがってカワラケに関する一切の事を調べ置いて国家に貢献しようと志すのだと心底を打ち明け置く。
これからいよいよ馬の心理上の諸象をざっと説こう。ロメーンズいわく、馬は虎獅等の大きな啖肉獣ほど睿智ならず、食草獣のうち象大きい馬より伶俐で象ほどならぬが驢も馬より鋭敏だ、しかしその他の食草獣(牛鹿羊)よりはやや馬が多智だ。
馬の情緒が擾馬家次第で急に変化する事驚くべく、馬を擾す方法諸邦を通じてその揆は一だ、すなわち荒れ廻る奴の前二足あるいは四足ことごとく括りて横に寝かせ暫く狂い廻らせ、次に別段痛苦を感ぜず、ただただとても人に叶わぬと悟るよう種々これを責むるに一度かく悟ると馬の心機たちまち全く変り野馬たちまち家馬となる、時に野性に復り掛かる例なきにあらざれど容易く制止し得る、南米曠野の野馬は数百年間人手を離れて家馬の種が純乎たる野馬となったのだが、それすらガウチョス人上述の法を以て能く擾しおわる。インド等で野象を馴らすも似いるがそれは徐々出来すのだから馬擾しほどに眼を驚かさぬ。
また奇な事は馬一たび駭けば諸他の心性まるで喪われたちまち狂奔して石壁に打付かるを辞せず、他の獣も慌て過ぎて失心自暴する例あれど馬ほど劇しいものなし。しかし真面目な時の馬は確かに情款濃く、撫愛されて悦び他馬の寵遇を嫉み同類遊戯するを好み勇んで狩場に働く。
虚栄の念また盛んで馬具で美麗を誇る、故にスペインで不従順な馬を懲らすに荘厳なる頭飾と鈴を取り上げ他の馬に徙し付けると。支那で馬に因んで驚駭と書き『大毘盧遮那加持経』に馬心は一切処に驚怖思念すとあるなど驚き他獣の比にあらざるに由る。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収