馬に関する民俗と伝説(その35)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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    さて字よりも一層憂苦の初めなのが色で、ベン・シラも女は罪業の初めで女故人間皆死ぬと述べた。沖縄首里の人末吉安恭君二月号に載せた予の不毛婦女に関する説を読んで来示に、かの辺りで不毛をナンドルー(滑らか)と俗称し、少し洒落しゃれては那覇墓なはばかと唱う、琉球の墓は女根にかたどる、普通その上と周縁に松やうず樹すすき等をえ茂らす、しかるに那覇近所の墓に限り多くは樹芒少なく不毛故の名らしい。 墓を陰相に象るは本に還るを意味するならんとあった。

    これなかなかの卓見で仏教にも
    〈時に舎衛国に、比丘と比丘尼母子あり、夏安居げあんご、母子しばしばあいる、既にしばしば相見て、ともに欲心生じ、母児に語りていわく、汝ただここを出で、今またここに入るのみ、犯すなきを得べし、児すなわち母の言のごとくし、彼を疑う、仏のたまわく波羅夷〉
    と出で(『四分律』五五)、誠に一休和尚が詠んだ通り一切衆生迷途の所、十方諸仏出身門だ。

    一九一四年八月英国皇立人類学会発行の『マン』にベスト氏いわく、ニュージーランド原住民マオリ人は女根に破壊力ありとし古くこれを不幸の住所と呼び禍難の標識とした、女神ヒネ、ヌイ、テポ冥界をつかさどり死人の魂を治む、勇士マウィ人類のために不死を求めんとて陰道(タホイト)より女神の体内に入らんとして殺されたと伝う、産門を死の家と名づく、人これに依って世に出れば労苦病死と定まりいるからだ、あるいはいわく女根は人類の破壊者だと、ヒンズー教にカリ女神を女性力すなわち破壊力の表識としこの力常に眠れど瞬間だも激すればたちまち劇しく起きて万物をやぶりおわるとするを会わせかんがうべしと。

    氏はこの信念の根本を甚だ不明瞭と述べたが熊楠はさまで難解と思わぬ。和合究竟くきょうに達してはいかに猛勢の対手あいてもたちまち萎縮するより女根に大破殺力ありとしたので、おもうに琉球の墓も本に還るてふ意味と兼ねて死を標すために女根に象ったであろう。

    すべて生物学上から見ても心理学上から見ても生殖の業およびこれにともなう感触がすこぶる死に近い。伊藤仁斎は死は生の極と説いたと聞くが、それより後に出た『相島あいしま流神相秘鑑』てふ人相学の書に交接は死の先駈さきがけ人間気力これより衰え始む、故にその時悲歎の相貌を呈すというように説きあったは幾分の理あり。

    日本紀』一に伊弉冊尊いざなみのみこと火神を生む時かれてみまかりましぬ、紀伊国熊野の有馬村に葬る。『古事記』には火之迦具土神ひのかぐつちのかみを生ますに御陰みほとかれて崩りましぬ。尊を葬ったてふ花の窟または般若の窟土俗オ○コ岩と称う。高さ二十七間てふいわに陰相の窟を具う。

    先年その辺の人々『古事記』にこの尊を出雲伯耆ほうきの堺比婆之山ひばのやまに葬ったとあるは誤りで、論より証拠炙かれた局部が化石して現存すれば誰が何と言っても有馬村のが真の御陵だ、その筋へ運動して官幣大社にして見せるといきり切っていたがどうなったか知らぬが、この古伝に由ってわが上古また女陰と死の間に密接せる関係ありてふ想像が行われたと判るが学問上の一徳じゃ。

    末広一雄君の『人生百不思議』に日本人は西洋人と変り神を濫造し黜陟ちゅっちょく変更するといった。現に芸者や娘に私生児を生ませ母子ともピンピン跳ねているに父は神とまつられいるなど欧米人は桜よりも都踊りよりも奇観とするところだ。

    それに森林を伐り尽くし名嶽を丸禿まるはげにして積立また贈遣する金額を標準として神社を昇格させたり、生前さしたる偉勲も著われざりし人がなった新米の神を別格に上げたりするは、自分の嗜好しこうを満足せんため国法を破って外人に地図や禁制品を贈った者に贈位を請うのと似たり張ったりの弊事だが、いかに金銭本位の世とはいえ神までも金次第で出世するとは取りも直さず神なき世となったのだ。

    ジョン・ダンロプ中世末のイタリアの稗官はいかんどもが争うて残酷極まる殺人を描くにつとめ、姦夫の男根を姦婦の頸に繋いだとか、しるにして飲ませたとか書き立てたるを評して残酷も極まり過ぎるとかえって可笑おかしくなるといった。予もまたかかる畸形の岩を万一いわゆる基本財産次第で大社といつく事もあらば尊崇の精神を失い神霊を侮辱する訳になると惟う。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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