馬に関する民俗と伝説(その24)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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     支那に限らず日本にも花驢が渡った事ある。かつて一七四六年版、アストレイの『新編航海紀行全書ア・ニュウ・ゼネラル・コレクション・オブ・ヴォエージス・エンド・トラヴェルス』三の三七八頁にナエンドルフいわく、アビシニアの大使、花驢一疋をバダヴィア総督に贈り、総督これを日本皇師に贈ると、帝返礼として銀一万両と夜着三十領を商会に賜うた。

    合算して十六万クラウンに当る。何と仰天だろうとあるを読んで、そんな事をもしや邦書に載せあるかと蚤取眼のみとりまなこで数年捜すと、近頃やっと『古今要覧稿』五〇九に、『本朝食鑑』を引いて、この事を記しあるを発見した。

    『食鑑』は予蔵本あれど、田辺にないから『要覧稿』に引いたまま写そう。いわく、
    〈近代阿蘭陀オランダの献る遍体黒白虎斑の馬あり、馬職に命じてこれを牧養せしむ、馬職これに乗りこれに載す、ともに尋常の馬に及ばず、ただ美色とうのみ、あるいは曰くの族なり云々〉


    『食鑑』は元禄八年人見元徳撰す。因って花驢は、少なくとも今より二百年前本邦へ渡った事ありと知る。花驢は馬とも驢とも付かず、この二畜の間子あいのこたる騾によく似れば、騾の族と推察したは無理ならぬ。『食鑑』とアストレイを合せかんがうるに、その時渡ったはドー(今絶ゆ)の変種、グランツ・ゼブラという種と見える。

     馬属の最後につらなるが驢で、耳が長い故、和名ウサギウマといい、『清異録』に長耳公てふ異名を出す。その諸国での名を少し挙げると、英語でアッスまたドンキイ、ラテンでアシヌス、露語でオショール、独語でエセル、ヘブリウでチャモール(牡)アトン(牝)、アラブでカマール、トルコでヒマール、梵語でラーサブハ等だ。このもの頭大に体大きな割合に脚甚だ痩せ短いから、迅く行く能わず。

    その蹄の縁極めて鋭く、中底に窪みあり、滑りやすき地を行き、嶮岨けんそな山腹を登るにゆ。これを概するに、荷を負うけだものにもそれぞれ向々むきむきがあって、馬は平原によろしく、象は藪林に適し、砂漠に駱駝、山岡に驢がもっともよく役に立つ。驢は荷を負うていとあらみちを行くに、辛抱強くて疲れた気色を見せず。

    ニービュールが、アラビアで見た体大きくて、かんの善い驢は、旅行用に馬よりもまされば、したがって価も高い由。何方いずかたでも、通俗驢を愚鈍の標識のようにいえど、いわゆるその愚は及ぶべからずで、わざとたわけた風をして見せ、人を笑わすような滑稽智に富む由、ウッドは言った。

    メッカでは驢を愛育飼養するにもっとも力めたので、その驢甚だ賢くなり、よくその主の語を聞き分ける故、主もまた自分の食を廃しても驢に食を与うという。プリニウスの説に、驢は寒を恐る、故にポンツスに産せず、また他のけだもの通り、春分を以て交わらしめず、夏至において交わらしむと。バートン言う、この説ことわりあり、驢は寒地で衰う、ただしアフガニスタンやバーバリーのごとく、夏長く乾き暑くさえあれば、冬いかに寒い地でも衰えずと。

     想うに、『史記』匈奴列伝に唐虞より、以上かんつがた山戎さんじゅう等ありて北蛮におり、畜牧に随って転移す、その畜の多きところは馬牛羊、その奇畜はすなわち駱駝と驢と騾と※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)けってい※(「馬+淘のつくり」、第4水準2-92-90)※(「馬+余」、第4水準2-92-89)とうと※(「馬+奚」、第4水準2-93-1)てんけいととある。

    奇畜とは、上代支那人が希有の物と見たのをいうので、ここにいえる騾は牡驢おのろ牝馬めうま間子あいのこ※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)は牡馬と牝驢の間子で、いずれも只今騾(英語でミュール)で通用するが、詳細に英語を用うると、騾がミュールで、※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)がヒンニーに当る。ヒンニーの語源は、ギリシアのヒンノスとラテンのヒンヌスで、多分馬のいななきをニヒヒンなどいう邦語と同様のものだろう。それから英国の田舎で、たとえば錦城館のお富が南方君を呼ぶ時、わがヒンニーという。それは※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)を意味せず、蜂蜜(ハニー)より転訛したのだ。

    さて※(「馬+淘のつくり」、第4水準2-92-90)※(「馬+余」、第4水準2-92-89)と騨※(「馬+奚」、第4水準2-93-1)は確かに知らねど、いずれも野馬と註あれば、上述のチゲタイやキャングや野小馬ワイルド・ポニーの連中だろう。この『史記』の文を見ると、驢は支那よりもまず北狄ほくてき間にいと古く入ったので、かかる寒地によく繁殖したは、その時々野馬や野驢の諸種と混合して、土地相応の良種を生じたに依るだろう。学者の唱うるところ、家驢の原種は、今もアフリカに野生し、家驢とちがい前髪なし。それに背と肩に条あるヌビア産と、背と脚に条ある、ソマリ産の二流ある由。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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