馬に関する民俗と伝説(その25)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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  • (付)白馬節会について

  • (種類4)


     上述のごとく現存の馬の種類が、馬とチゲタイとオナッガとグレヴィス・ゼブラとドー(本種亡び変種残る)とゼブラと驢と七つで、その上多少の変種もある。ただしこの諸種各々別ながら甚だ相近く、野生の時は知らず、飼い馴らしまたは囚え置くと異種交わって間子あいのこを生む例少なからず。馬と驢は体の構造最も異に距たりいるが、容易に交わりて騾を生む。

    『漢書』に、亀茲きゅうじ王が漢に朝し、帰国後衣望服度宮室を、漢の風に改めたが、本物通りに出来ず。外国胡人皆あざけって驢々ろろにあらず、馬々ばばにあらず、亀茲王のごときは騾という物じゃといったと見ゆ。

    その通り騾は頭厚く短く、耳長く脚細く、※(「髟/宗」、第4水準2-93-22)たてがみ短く蹄狭く小さく、尾の本に毛なきなど、父の驢そのままだが、身の大きさや頸尻毛歯の様子は、母の馬そっくりで、声は父にも母にも似ず、足蹈みの確かなると辛抱強きは、驢の性をけ、身心堅壮で勇気あるは馬の質を伝う。故に荷を負うの巧馬にまさる。古ギリシアまた殊にローマ人、これを車に牽かせ荷を負わすに用いたが、近世大いに輜重しちょうの方に使わる。

    ただし馬の父が驢の母に生ませた騾、すなわち※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)は余り宜しからず。プリニウス説に、愚鈍で教ゆべからずとぞ。プまたいわく、牡馬に由って孕み、次に牡驢と交われば牡馬の種消ゆ、しかるにまず牡驢に由って孕み、次に牡馬と交わるも驢の種消えずと。何に致せ騾はある点において父にも母にも優り、国と仕事に由っては馬よりも驢よりも欲しがらるるが、騾種は二代と続かず、必ずその都度驢と馬を交わらせて作るを要す。

     昔仏その従弟調達が阿闍世あじゃせ王より日々五百釜の供養を受け、全盛するを見、諸比丘を戒めたに、芭蕉はみのって死し、竹も蘆も実って死し、騾は孕んで死し、士は貧を以て自ら喪うと言った。注に騾もし姙めば、母子ともに死すとある(『大明三蔵法数』一九)。『爾雅翼』に、騾のまた瑣骨さこつありて離れ開かず、故に子を産む能わず。『史記』の注に、※(「馬+夬」、第4水準2-92-81)※(「馬+是」、第4水準2-92-94)は、その母の腹をいて生まる。

    『敬斎古今とう[#(「黄」の正字、※(第3水準1-94-81))+主」、368-3]』三に、騾は必ずしも驢種馬子でなく、自ら騾の一種があるので、生まるる時必ず母の腹をかねばならぬとあるなど、騾の牝が子を産まぬについて、種々虚構した説だ。

    『人類学雑誌』に、パプア人やヤミ蕃人が、以前出産の際母の腹を剖いて子を取り出したが、後に他所の女の山羊が、腹を剖かずに安全するを見て、その法を廃したと見えた。遥か昔、北狄間にもそんな風があった痕跡として、騾の腹を剖いて子を取ると言ったのでないか。

    『池北偶談』二六に、
    〈釈典に三必死あり、いわく人の老病、竹の結実、騾の懐胎、しかるに康熙こうき某年、旗下人の家に、騾ありて子を生みついにつつがなし〉。

    騾の牝が他の馬種と合いて、子を産んだ事は時に聞くも、少なくともこの数千年間、無数の騾をうた内、牝牡ひんぼの騾の間に子生んだ例あるやは極めて疑わし、故に馬属の諸種は現時あいまじわって子あれども、その子同士で繁殖し行き得ぬ世態にあると、『大英百科全書』から受け売りかくのごとし。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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