(民俗(3)9)
アラブ人殊に牝馬を重んじ、大金を見ても売らぬ事多い。これ牝馬人よりも能く災難を前知し、吹き去り寄せ替わる砂の上に人の認め能わざる微細の標識を見分けて、広大な沙漠に人栖む天幕を尋ね当て、曠野に混雑する音響を聞き分けて、敵寇の近づくを知り、終日飲食せず息まず走りて主人を厄より脱し、旅を果さしむるからだ。
ベダイ人もっとも牝馬を重んじ、これを買わんとして価を問うも真の事と信ぜず。これは貴君に差し上ぐるというような返事をする。二度目に繰り返し問うも何の答えもせず、よい加減なごまかしで済ます。三度目に問うと心瞋って苦笑し、この牝馬を売るよりはわが家族を売ろうという。これは詼謔でなく、ベダイ人の癖として、友と離るるよりは好んで父母を質に渡す。
もし不幸の際やむをえず牝馬を売る事ありとも、これを国外へ渡してのち子を生まぬよう施術せずに手離す例ありやすこぶる疑わし。また買い手が代価を議する前、売り手の双親一族親友輩がその馬の売却に異議なきやを確かむるを要す。然せざれば代金支払い後難題起り、またその馬を盗まる。また買い手はその馬生子に適する旨と、その体のどの部分をも要求すべき権利ある者一人もなき由の保証を取り置くべし。
けだしベダイ人大いに金に不自由を感ずる時、その持ち馬の身の諸部を売って容易に金を手に入れる。右前脚は誰、左前脚は誰、後脚は某々、尾は某、耳は某という風に一疋の馬を数人に売り、その人々その持ち分に応じてその馬の労力や売却の利を分ち享けんと構え居る。この風を心得ず牝馬を一人の物と思い、その人に価を払い済ませて後、その馬の耳とか尾とかの持ち主現われ、その持ち部の価を請求されて払わず、すったもんだと争い、地方官へ訴えても土地の風習是非なしとて取り上げず、甚迷惑する事あり。
また住地近辺の聯合諸部の酋長どもと懇意な中でその公許を得たのは格別、さもなくて牝馬の躯の一、二分をだに自分方へ保留せず全部を売却した者は、到る処人に嫌われ暗殺の虞さえある故、重罪犯者同様その土地を逐電するほかに遁げ路ない。牡馬を買うは牝馬ほど難からねど、なお如上の作法を踏まねばならぬ。以上は血統純粋な駿馬を購う場合の事で、劣等の馬を買うは容易な事である。
右のピエロッチの文中、牝馬が殊に能く人の災難を予知し、微細の蹤を認め音響を聞き分くるといえるは、牝犬が牡よりは細心甚だしく、盗人防禦にもっとも適すると同義らしいが、牡馬もまたかかる能あるはほぼ前に述べた。俗語に一事が万事と言う。
推理の正確ならぬ民は一能ある者は万能ありと思うが常で、右様の能が馬にあるより、馬の関知せぬ事までも馬に問うようになり、馬占が起った。古ケルト人もっともこれを信じ、特別の白馬を公費もて神林中に蓄い、大事あるに臨みこれを神車の直あとに随わしめ、その動作嘶声を察して神意を占うた。サキソン人も一白馬を神廟に蓄い、戦前祈祷してのち僧がこれを牽き出し、槍を逆さまに三列に立てたるを横ぎり歩ましむるに、右足まず踏み出せば勝利だが、左足まず出せば敗兆と断じ出陣を見合せた(コラン・ド・プランシー『妖怪字彙』四版二四二頁等)。
本朝にも住吉は軍神たり、世に事あればそこに飼う神馬見えず。享徳二年八月伊勢、八幡、住吉三社の神馬同時に死す、応仁大乱の前表という(『和漢三才図会』七四)。大乱の初まりより十四年昔で、前表もこのように早手廻しではかえって間に合わぬ。
「妹が門出入る河の瀬を早み、駒ぞ躓く今恋ふらしも」人に恋らるる人の乗る馬は躓く由(『俊頼口伝集』上)。予など乗らぬが幸い、もし乗ったらけだし躓き通しだろう。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収