(民俗(3)8)
アラブ人は諸畜の中のもっとも馬を貴び、患難にあっても栄華にあっても最も人に信あるものとす。その蕃殖にもっとも注意を尽くせど、各部族その種馬を惜しみ、他部族の牝馬と交わらざらしむる故、馬種の改善著しく挙がらず。アラブ輩、馬殊に牝馬を親愛する事非常で、家族と同棲せしめ決してこれを打たず。自分の手また衣の襞より食を取らせ、談話も説明するあたかも人に対うに異ならず。善く教練して絆がざるに去らず。
招き呼べば直来り、主人の許可なしに騎る者あらば主人の相図を見てすなわち振り落さしむ(インドでもマーラッタ人は馬を慣らして主人を立ち待たして数時間石のごとく動かざらしむ、かつて辺に人なく主人を立ち待たせる馬を盗み騎り走る者あり、主人遠くより望み見て予定の合詞を掛くると、馬たちまち止まって盗人どうあせっても動かず、やむをえず下乗して自分の膝栗毛で駈け去ったとチュボアの『印度風俗志』二に出づ)。
種馬や牝馬病む時は一家ことごとく心痛し、さしも猛性のベダイ人(アラブ中もっとも勇烈な部種)も、ために温和となり、馬一たび喘げば自分も一たび喘ぐほどだ。かつて一牝馬難産のところへ行き合せしに、その部の酋長これを憂うる事自分の母におけるごとく、流涕して神助を祷れば牝馬これに応じてことさらに呻吟するようだった。アラブ人馬掛けて誓う事希だが、もし馬掛けて誓えば命を亡うまでも約を違えず。予ベダイ輩を護身卒に傭うに、ただ牝馬を援いて誓わしめたが、いかな場合にも誠を尽し、親切に勤めた。貴種の馬は今甚だ少なくなる。
その父母共に貴種ならずば承知せぬ風ゆえ、部族の酋長か高名の人の証明を要し、かかる証書と系図と守札を容れた嚢を馬とともに売買し、その頸に掛くる。
アラブの馬は、皆去勢せねど性悪しきもの少なく、また耳も尾も截らず、臨終際までも活溌猛勢だ。牡馬よりも牝馬が好かるる訳は、駒を産んで利得多いからよりは、牝馬は嘶かず、夜襲などの節敵に覚られぬからだ。
アラブ馬のもっとも讃むべき特性は、その動作の靱やかな点で、他にこれよりも美麗駿速な馬種なきにあらざるも、かくまで優雅軽捷画のごとく動く馬なし。十また十二歩離れた壁を跳び越え、騎手の意のままに諸方に廻り駈け、見物人の称讃を求むるようだ——熊楠いう、『千一夜譚』第四七夜に、女子九フィートの溝を跳び越ゆるを追う王子の馬跳び越え能わぬ事あり。バートン注に、アラビア馬は跳ぶ事を習わずと。どちらが本当か知らぬが、先はピエロッチが見たパレスタインのアラブ馬は、アラビア本土のアラブ馬と性も芸も多少差うと見える——アラブ人が好む騎戦戯にはその馬叫喚飛棒の間に馳せて進退最も見るべく、十分戦争を解するものに似たり。さて真の接戦に参しては、その敏捷迅速なる動作、能く主人をして敵の兵刃を避けしむる手練その主の武芸に優るあり。
かつて親りベダイ人を載せた馬が銃火を潜りて走るを見しに、軽く前脚をあげたり、尻を低くしたり、動くごとに頭頸を昂くして騎手のために弾丸を遮るようだった。またしばしば騎手が足を鐙の力皮に絡まれながら落馬した時、馬自分動けば主を害すと知りてたちまち立ち止まるを目撃し、また日射病で落馬した騎手の傍に立ちて、その馬が守りいた例を聞いた。
また自分ごく闇夜乗馬のおかげで道を求め中て、厄を免れた事あり。アラブ馬猛しといえども、軍士と等しく児女や柔弱な市人をも安心して乗らしむ。予の言を法螺と判ずる人もあろうが、誰でもベダイ人間にやや久しく棲んだらその虚ならざるを知らん。
『聖書』ヨブ記に軍馬を讃えた文句正しくアラブ馬の現状を言い尽した(その文句は 「汝馬に力を与えしや、その頸に勇ましき鬣を粧いしや、汝これを蝗虫のごとく飛ばしむるや、その嘶く声の響きは畏るべし、谷を脚爬て力に誇り自ら進みて兵士に向かう、懼るる事に笑いて驚くところなく、剣に向かうとも退かず、矢筒その上に鳴り鎗に矛相閃爍く、猛りつ狂いつ地を一呑みにし、喇叭の声鳴り渡るも立ち止まる事なし、喇叭の鳴るごとにハーハーと言い、遠くより戦闘を嗅ぎつけ、将帥の大声および吶喊の声を聞き知る」と言うので、そのハーハーがいけない直訳だと上に述べ置いた)。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収