(心理10)
ここに一言するは同姓婚と母系統は必ずしも偕に行われず、しかしフレザーが言った通り、母統を重んずるよりやむをえず同姓婚を行う場合もあるに因んで、一緒にその事どもを述べたので、両つながらそれぞれ歴とした訳があり、決して無茶苦茶な乱風でない。
さて上に引いた至親の同姓婚を畜生が慙じて自害自滅したのが事実ならば、ある動物に羞恥の念ある証としてすこぶる有益だが、これを例に採ってことごとく同姓婚を行うた古人を畜生劣りと罵るべきでない。既に挙げたヘラクレスのごとく自分の血統を重んずる一念よりかく行うた者ありて、自分の血統を重んずる一事が人畜間の距離絶大なるを示す所以だから。
『大般涅槃経』に馬獅の臭いを怖るといい、『十誦律毘尼序』にはその脂を脚に塗らば象馬等嗅いで驚き走るという、ラヤード言う、クジスタンの馬獅近づけば見えもせぬに絆を切って逃げんとす、諸酋長獅の皮を剥製し馬をして見狎れ嗅ぎ狎れしむと。菅茶山曰く狼は熊に制せられ馬を殺す、しかるに熊は馬を怖ると(『筆のすさび』五一章)。
馬また象と駱駝を畏れ(ヘロドトス、一巻八十章、テンネント『錫蘭博物志』二章参照)、蒙古の小馬や騾は太く駱駝を怖れる故専ら夜旅させ、昼間これを駱駝のみの宿に舎す(ヘッドレイ『暗黒蒙古行記』五四頁参照)。
『淵鑑類函』に、『馬経』を引いて馬特に新しい灰を畏る、駒がこれに遇わば死す、『夏小正』に仲夏の月灰を焼くを禁じたはこの月馬駒を生むからだと見ゆ。ベーカーの『ゼ・ナイル・トリビュタリース・オヴ・アビシニア』に、氏が獅子を銃する時落ち着いて六ヤードの近きに進み、獅子と睨み合いて却かなんだ勇馬を記す。して見ると禀賦と訓練で他の怖ろしがる物を怖れぬ馬もあるのだ。
『虎経』巻十に、猴を馬坊内に養えば患を辟け疥を去るとありて、和漢インド皆厩に猴を置く。『菩提場経』に馬頭尊の鼻を猿猴のごとく作る。猴が躁ぐと馬用心して気が張る故健やかだと聞いたが、馬の毛中の寄生虫を捫る等の益もあらんか。
また上述乾闥婆部の賤民など馬と猴に芸をさせた都合上この二獣を一所に置いた遺風でもあろう。一八二一年シャムに往った英国使節クローフォードは、シャム王の白象厩に二猴をも飼えるを見問うて象の病難除のためと知った由。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収