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例せば、面首を以て愛重された男子はことごとく柔弱萎縮しおわると説く者甚だ多きも、ハンニバル、シーザル等かつて若契を経た偉人泰西に多く、「蘭丸をいっち惜しがる本能寺」、「佐吉めは出征をしたと和尚いい」、わが邦にも美童の末大名を馳せた者少なからず。それにかかわらず安陵竜陽みな凶終するよう論ずるは、性慾顛倒の不男や、靨を売って活計する色子野郎ばかりに眼を曝した僻論じゃ。
この事は英国の詩人シモンズの『近世道義学の一問題』(一八九六年)、明治四十二年『大阪毎日』の連載した蕪城生の「不識庵と幾山」によく論じあった。それと等しく婦人の不毛は必ず子なしと説く者西洋に少なからぬが、これも事実と差う場合がある。
予今時のいわゆる人種改良とか善胎学とか唱うる目的は至って結構だが、その基礎とさるる材料が甚だ危殆なるに呆れ、年来潜心その蒐集を事とし、不毛一件ごときも一大問題としていかな瑣聞をも蔑せず。しかる内近村に久しく行商を営み、諸方の俗伝に精しき老人この件に関して秘説を持つと聞いて少しも躇わず。
人の命は雨の晴れ間を待つものかと走り行きて尋ぬると、老人新羅三郎が笙曲を授くるような顔して、ニッとも笑わず語り出でしは、旧伝に絶えてなきを饅頭と名づく、これかえって太く凶ならず、わずかにあるをカワラケと呼び、極めて不吉とす、馬に河原毛ありそれから移した称だと。当時は特に留意せなんだが、ほどなく老人死した後考うるに、駱和名川原毛黒い髦の白馬だというから、不毛に当らず。川原は砂礫多く草少なき故、老人の説通りわずかに春草ある処を馬の川原毛から名を移して称うるのかと思えど、死人に質し得ず。
『逸著聞集』など多くは土器と書いたが、その義も解らず。ようやく頃日『皇大神宮参詣順路図会』を繙くと、二見浦の東神前の東北海中に七島あり阿波良岐島という、また毛无島とてまるで巌で草木なき島あり、合せて八島相聯なる、『内宮年中行事記』に、六月十五日贄海神事の時舟子の唄う歌の中に「阿波良岐や、島は七島と申せども、毛无かてては八島なりけり」と載す。
『続々群書類従』一に収めた、『内宮氏経日次記』には「阿婆羅気や、島は七島と申せども、毛無からには八島なりエイヤ/\」に作る。これだけでは不安心だが、アバラケは亭を阿婆良也と訓むごとく荒れ寥んだ義で毛なしと近く、ほとんど相通ずる意味の詞であろう。かくて不毛をアバラケ、それよりカハラケと転して呼ぶに及んだでなかろうか。『日次記』に右の歌宝徳三年頃すでにあったよう見えれば、愚考が万一中ると、不毛をかく唱うるは足利義政の世既にあった事となるはずだが、大分怪しいて。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収