(名称3)
三年前、南洋の各地を視察した長谷部博士の説に、トルク島人闘う時
『根本説一切有部毘奈耶』に、仏の弟子陀夷
陀夷曰く姑の過ちでない、彼の両乳の間および隠密処に
そこで前同様に教え食を受けて去った。他日他の居士の家に説法した時、その姑にの事を尋ねると、
それは彼の徳でない、両乳の間と隠密処に善き相があるに因ると教え、その後またその
に姑の事を問うと、実の母のごとく愛しくれると答うるを聞き、それは姑に善い相がある故と告げて去った。ほど経て姑と
と浴して
陀夷が言った通りの相あり。
その後姑とと
に向いこの
またそんならそっちも姦通したに相違ないとてその陰相を語る、二人とも変な事と気付いて懺謝し、誰が汝に相を告げたかと相問うと、いずれも
陀夷から聞いたと答え、大徳何に因ってことさらに我らを悩ませるぞと憤る。
そこへ老いた陀夷はどんな人と問うと、大臣の家に生まれたが出家したと答う。姑彼持戒の出家なら女人の陰相などを知るはずなしというと、人相学に通じて知るという、姑そんな事を知ったからって皆人に告ぐべけんやと打ち返したので、老比丘閉口して寺に帰って仏に
インドなど、人が多く衣を重ね着ぬ熱地では、かかる事を学び知る便宜が遥かに他より多かるべく、したがってそっちの研究はよほど進みいただろう。それと同時にかかる
『十誦律』四七、比丘尼に具足戒を授くるに先だち、あらゆる事どもを問うて真実に答えしむ。
〈我今汝に問う、汝これ人なりやいなや、これ女なりやいなや、これ非人にあらざるや、畜生にあらざるや、これ不能女人にあらざるや、女根上に毛ありや〉
と、これかかる者を完全な人間と見ず、受戒を
この辺でもかかる女を不吉とし、殊に農家は不毛を忌む故、そんな者を