(伝説二5)
アストレイの『西蔵記』に、大喇嘛の糞尿を信徒に世話しやりて多く利を得る喇嘛僧の事を載す、蒙古人その糞の粉を小袋に入れ頸に掛け、その尿を食物に滴して用うれば万病を除くと信じ、天主僧ジャービョン西韃靼に使した時、大喇嘛の使者かようの粉一袋を清帝に献ぜんと申し出て拒まれた由。
これらは無上に高値な糞であろう。わが邦でも古く陣中に馬糞を薪にし、また馬糞汁もて手負いを療じた(『雑兵物語』下)。したがって馬糞を金ほど重んじた場合もあったものか。
羽黒山の社の前後に賽銭砂礫のごとく充満し、参詣人の草履に著く故、下山に先だちことごとく払い落す。強慾な輩、そのまま家へ持ち帰れば皆馬糞に化るという(『東洋口碑大全』七六二頁)。韓退之がいわゆる、牛溲馬勃、ともに収め並びに蓄うで、良医が用うれば馬糞も大功を奏し、不心得な奴が持てば金銭も馬糞同然だ。
退之の件の語中の馬勃は牛の小便に対して馬の糞を指したんだが、『本草』に掲げた馬勃は馬糞に似た胆子菌リコベルドン、スクレロデルマ等諸属、邦俗チリタケ、ホコリタケなど呼ぶ物に当る(『本草図譜』三五巻末図見るべし)。
第一図[#図省略]に示すはこれらに近縁あるポリサックム属の二種、いずれも田辺で採った。
瞥見にはこれも馬の糞生写しな菌である。今までおよそ二十種ばかり記載された事と思うが、予が知り及んだところ濠州に最多種あり、三十年ほど前欧州に四種、米国に二種、そのフロリダ州では予が初めて見出したらしく、今もその品を蔵し先年来訪されたスウィングル氏にも見せた。本邦では十八年前予英国より帰著の翌朝、泉州谷川で初めて見出し、爾後紀州諸郡殊に温かな海浜の砂中に多く、従来西人の記載に随えば少なくとも三種は日本にありと知ったが、自分永年の観察を以てすればこの三種は確乎たる別種でなく、どうもポリサックム・ピソカルピウムてふ一種の三態たるに過ぎぬごとし。
因ってこの一つの名もて、白井博士に報じ、その近出に係る『訂正増補日本菌類目録』四八五頁に録された。
さてこの菌は、米国植物興産局の当事者たるスウィングル氏(予と同時にフロリダにあって研究した人)も近年予に聞くまで気付かなんだらしいが、予は三十年前から気が付きおり、染料として効果著しきもので、貧民どもに教えて、見るに随って集め蓄えしめたら大いに生産の一助となる事と思う。
ただし予も今に余暇ごとに研究を続けおり、これより外に一言も洩らさぬ故、例の三銭の切手一枚封じ越したり、カステラ一箱持って遥々錦城館のお富(この艶婦の事は、昨年四月一日の『日本及日本人』に出でおり艦長などがわざわざ面を見に来るとて当人鼻高し)を介して尋ね来りしたってだめだと述べ切って置く。欧米の人はかかる事をちょっと聞いたきり雀で、諄々枝葉の子細を問わず、力めて自ら研究してその説の真偽を明らめ、偽と知れたらすなわちやむ。
もしいささかも採るべきありと見れば、他の工夫処方の如何を顧みず、奮うて自家独見の発明に従事する。前日ス氏来訪された時、予が従来与えた書信をことごとく写真して番号を打ち携えいた。その言寡なくて注意の深き、感歎のほかなし。今のわが邦人の多くはこれに反し、自分に何たる精誠も熱心もなきに、水の分量から薬の手加減まで解りもせぬ事を根問いして、半信半疑で鼻唄半分取り懸るから到底物にならぬ。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収