(伝説一9)
話変って『付法蔵因縁伝』にいわく、月氏国智臣摩啅羅その王昵に、大王臣の教え通りせば四海を統一すべき間、何卒言を密にして臣の謀を洩らさぬようと願い、王承諾した。すなわちその謀を用いて三海皆臣属しければ王馬に乗りて遊び行く路上馬が足を折り挫いた。
王たちまち智臣の教えを忘れその馬に向い、我三海を征服せるも北海のみいまだ降らず、それを従えたら汝に乗らぬはず、それに先だって足を挫くとは不心得の至りと言った。それが群臣の耳に入ったので、多年兵を動かして人臣辛苦息まざるにこの上北海を攻むるようではとても続かぬ故王を除くべしと同意し、瘧を病むに乗じ蒲団蒸にして弑した。
かかる暴君一生に九億人殺した者も、かつて馬鳴菩薩の説法を聴いた縁に依って、大海中千頭の魚となり、不断首を截られるとまた首が生え須臾の間に頸が大海に満つその苦しみ言うべからず。しかるに椎の音聞える間は首斬れず苦痛少しく息むと告げたので、寺で木魚を打ち出したポコポコだそうな。
誠に口は禍の本嗜んで見ても情なや、もの言わねば腹膨るるなど理窟を付けて喋りたきは四海同風と見えて、古ギリシアにもフリギア王ミダスの譚を伝えた。アポロ大神琴を弾じ羊神パンは笛を吹いてミにいずれが勝れると問うに羊神の笛勝れりと答えた。アポロ怒ってミの耳を驢の耳にし、ミこれを慚じて常に高帽で隠しその一僕のみ主人の髪を剪む折その驢耳なるを知った。由ってその由人に洩らすまじと慎んでも怺え切れず。
ついに地に穴掘って、モシモシミダス王の耳は驢馬同然ですと囁き、その穴を埋めて心初めて落ち着いた。しかるに因果は恐ろしいもので、その穴跡より一本の蘆生え、秋風の吹くにつけてもあなめ/\と小町の髑髏の眼穴に生えた芒が呻った向うを張って、不断ミ王驢耳を持つ由囁き散らし、その事一汎に知れ渡った由。
高木敏雄君また前年この譚の類話を求められた時、予が答えた二、三の話を挙ぐると、まず蒙古の譚に、ある王の耳金色で驢耳のごとく長きを世間へ知れぬように腐心し、毎夜一青年にその頭を梳らしめ終ってすなわち殺した。その番に中った賢い若者が王の理髪に上る時、母の乳と麦粉で作った餅を母に貰って持ち行き王に献る。王試み食うと旨かったからこの青年に限って理髪が済んで殺さず。ただし王の耳については母にすら語るなからしめた。
青年慎んで口を守れば守るほど言いたくなり、これを洩らさずば身が裂くるべく覚えた。母教えて広野に之きて木か土の割け目へ囁けと言った。青年野に出て栗鼠の穴に口当て、わが王は驢耳を持つと囁くを聞いた、その頃の動物は人言を解した故、人に話し、人伝えて王の耳に入り、王瞋りて彼を殺さんとしたが、仔細を聞いて感悟し、彼を首相に任じた。青年首相となって一番に驢耳形の帽を創製して王の耳を隠したので、王も異様の耳を見らるる虞なく大いに安楽になったという。
キルギズ人の口碑には、アレキサンダー王の頭に二の角あるを臣民知らず。それが知れたら王死なねばならぬ。由って理髪人を召すごとに事済んで直ちに殺した。王地上の楽を極めてなお満足せず使者二人を遣わして、不死の水を捜さしめた。一日王理髪人を召したが、今度だけは殺さず、角の事を洩らさぬよう戒め置くと、理髪人命の惜しさに暫く黙しいたが、耐えられなくなり、窃かに井中へ囁き込むと、魚が聞いて触れ散らし角の噂が拡まったので王死んでしまい、二使人不死の水を持ち帰っても及ばず、共にこれを飲んで今に死なず、一人は人に見えずに地上を周遊して善人を助け、一人は純ら牛を護るという(グベルナチス伯とサルキンの説)。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収