(民俗(3)6)
一三〇七年筆ハイトンの『東方史』四八章に、韃靼人は殺人を罪悪とせず。しかるに馬が物を食う時鼻革を脱ぎやらず、食事自由ならざらしむるを上帝に叛く大罪とすとあり。タヴェルニエー言う、ノガイ人は、馬を飼いて餓渇に堪えしめ、その蹄堅くして蹄鉄を要せず、土や氷の上に足跡を印する事あたかも蹄鉄を附けたるがごとし、ただしかく育て上ぐるは難事ゆえ、五十匹の中わずかに八疋十疋のみ成功す、征行に良馬のほかに凡馬二、三を伴れ騎り、大事あるにあらずんば決して良馬に乗らずと。
アラブ人がもっとも馬に親切なるについて珍譚多し。例せば駒生まるる時傍に立った人手で受け取り、地上に落さざらしむという。これに似た事、欧州で神木とし霊薬とした槲寄生を伐り落すに白布で受け決して地に触れしめず、触れたらその効力亡しといい(グリンム『独逸鬼神誌』四版二巻)、燕の雛がその母鳥に貰い腹中に持つ霊石は、その雛が土に触れぬうちに取らずば薬用に堪えずと一六五五年ライデン版『ムセウム・ウォルミヌム』七二頁、一六〇九年初版ボエチウスの『玉石論』四三九頁、共にプリニウスの『博物志』三十七巻を引き居るが、予プの書全篇を幾度も通覧せるも一向見当らぬ。
けだし中世そんな俗伝あったのを、プの書は博綜を以て名高い故、こんな事なら大抵載せ居るはず位の見当で塗り付け置いたらしい。邦人が一汎に和漢書よりは精確と想う欧州書にもこんな杜撰が往々あるから孫引きは危険千万と注意し置く。
カンボジヤの俗信に竹の梢に或る特種の蘭が寄生すると、その竹幹中に一の小仏像が潜みある、尿で潤した布片でその幹を巻き竹を割るとこれを獲る。これを家に置けば火災に遇わず、口に含めば渇かず、身に佩ぶれば創を受けず。ただし右様の用意せずに割れば、かの像竹から地下へ抜け失せしまうという(『仏領交趾支那雑誌』一六号に載ったエーモニエの『柬埔※[#「寨」の「木」に代えて「禾」、441-1]風習俗信記』一三六頁)。
かく、土能く諸物の精力を摂り去り、霊異の品時に自ら地下へ逃げ去らんとすてふ信念より、駿馬の駒また地へ生み落さるればその力を減ずとしたのだ。パルグレーヴの『中央および東部アラビア紀行』十章に、アラブ人が駒産まるるところを受け抱いて地に落さざらしむとか、主人と同席で飲食するとか、人馬親昵する奇譚どもを片端から皆嘘のように貶したが、それは今日来朝の外人が吉野高尾ほどな文才ある遊君に会わず、人に大便を拭かす貴族の大人をも見ぬからとて、昔もそんなものは全く日本になかったと即断すると同然、今に則って古を疑う僻見じゃ。
一八六四年版、ピエロッチの『パレスタイン風俗口碑記』に、アラブ人が馬を愛重する有様などを尤面白く書いた。とても拙毫の企て及ぶところでないが、その概略を左に訳出しよう。
back next
「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収