(民俗(3)5)
昨年死んだ英国の地主マシャム男は、遺産百一万六千百五十ポンド十一ペンスてふ大富人だった。その遺言状に、騎馬競馬から車用馬まで飼馬残らずわが死後決して売却また贈遺すべからず、必ずことごとく撲殺すべしとあった由。大正六年の英国華族にすらこんながある。古文明国や、今の蛮地で馬を人に殉葬したればとて怪しむに足りぬ。南米パタゴニア人の例は上に挙げた。
十三世紀に蒙古に遊んだ天主僧プラノ・カルピニの記に、その貴人死ねば天幕の真中に屍骸を坐らせ、鞍置き附けた牡馬牝馬と駒各一疋を添え葬り、別に一牡馬を殺してその肉を食い、皮に藁を詰め棒尖に刺して立て、死者が冥界にあってもこの世と斉しく天幕に住み母乳を飲み、牡馬に乗り馬を飼い殖やし得と信じた。今日もシベリアのブリヤット人死ぬとその乗馬を殺し、もしくは放ち、コーカサス人、夫死すればその妻と鞍馬をして三度その墓を廻らしめ、爾後寡婦も馬もまた御せらるる事なからしむ。これ昔馬を殉葬した遺風だ。
前項に引いた通り、仏書に、人が父母を殺さば無間地獄に堕ちるが、畜生が双親を殺したらどうだとの問いに答えて、聡慧なる者は落つれどしからざる者は落ちずとあるごとく、馬に取っては迷惑千万だろうが、その忠勤諸他の動物に挺んでたるを見込み、特別の思し召しもて、主人に殉し殺さるるのだ。
タヴェルニエーの『波斯紀行』四巻十章に、アルメニアの熱心なキリスト教徒が、聖ジョージ祭に、一週間の断食を行うはよいが、中には馬にも強行した者ありとは、ありがた過ぎて馬が哭いたであろう。
ボスウェルが博士ジョンソンに老衰した馬の処分法を問うた時の答書に、人間が畜った物ゆえ力の強い間馬を働かすが正当だが、馬老衰と来ては処分が大分むつかしい、ただし牝牛を畜って乳を取り羊を養って毛を収め、とどのしまいに殺し食うたって異論なし、それと同理でまず馬を働かせ、後に苦もなく殺しやりて、他の馬を畜い牛羊を飼うに便にするに四の五のないはずだ、もし馬を殺す人馬の功を忘ると言わば、牛羊を殺すもまた功を忘るるものならんと述べて、なるべく苦患少ないよう殺しやれとあったと記憶する。斉の宣王が羊を以て牛に易えた了簡と大分差うようだが、ジョンソンの言自ずからまたその道理あり。
馬を殉葬した人間の思惑は大要ジョンソンと同じく、犬羊馬豕斉しく人が飼った物で人に殺さるるは当然ながら、ややその功軽き羊豕等は毎度その用あるに臨んで、たやすく殺しすなわち忘らるるに反し、大事の場合に主君の命を全うすべき良馬は現世で優遇された報恩に、来世までも御供していよいよ尽忠すべしというのだ。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収