(性質7)
十七世紀末の雑誌『アセニアン・マーキュリー』は、予が年久しく寄稿する『
さて西暦八五一年(唐宣宗大中五年)アラビヤ人筆、『印度および支那航記』(レノー仏訳、一二〇頁)支那の習俗大いにアラビヤと異なるを録していわく、支那人同姓と婚せず、いわく他姓と婚すれば生まるる子双親に優ると。かかる説は古く既に『左伝』にあったと記憶す。かく同姓婚を忌んだ余勢は、
『大唐西域記』一に、
〈屈支国東境城北天祠の前に大竜池あり、諸竜形を
アラビヤの旧伝に、インドの大王人を海島に遣わし、王の牝馬を
『水経注』に
三五〇巻に、
〈『
『隋書』
〈大業五年、馬牧を青海渚中に置き、以て竜種を求め、効なくしてやむ〉。五九巻に、〈
また三二二巻に、広西の竜馬
これらをすべて
熊野で、他所と懸絶した地点の小家の牝猫が、近所に一疋も牡なきに孕むを、これは交会の結果でなく、