(虎に関する民俗3)
ジャクモンが『一八二八至三二年印度紀行』一にジャグルナット行の巡礼葉竹の両端に二つ行李附けて担い行李ごとに赤布片を付ける、林中の虎を威すのだとあるが、そんな事で利く事か知らん。
『西京雑記』にいう、東海の黄公少時幻を能くし蛇や虎を制するに赤金刀を佩ぶ、衰老の後飲酒度を過ぐ、白虎が東海に見れたので例の赤刀を持ち厭に行きしも術行われず虎に食われた、年老の冷水でなくて冷酒に中ったのだ。『呂氏春秋』には不老長生の術を学び成した者が、虎に食われぬ法を心得おらなくて虎に丸呑みにされたとある、いわゆる人参呑んで縊死だ。
インドのゴンド人は毎村術士あり、虎を厭して害なからしめ、ゴイ族は虎殺すと直ぐその鬚を取り虎に撃たれぬ符とす(一八九五年六月『フォークロール』二〇九頁)。トダ人水牛を失う時は、術士私かに石三つ拾い夜分牛舎の前に往き、祖神に虎の歯牙を縛りまた熊豪猪等をも制せん事を祈り、かの三石を布片に裹み舎の屋裏に匿すと、水牛必ず翌日自ら還る。たとい林中に留まるも石屋裏にある間は虎これを害せず、水牛帰って後石を取り捨つ(リヴァースの『トダ人族篇』二六七頁)。
ブランダ人虎を制する呪を二つスキートおよびプラグデンの『巫来半島異教民種篇』に載せた、その一つは「身を重くする呪を誦えたから虎這う森の樹株に固着て人の頭を嫌いになれ、後脚に土重く附き前足に石重く附いて歩けぬようになれ、かく身を重くする呪を誦えたから我は七重の城に護らるる同然だ」という意である。
同書に拠るとマレー半島には飼犬また蛙が虎の元祖だったという未開民がある。ブランダ人言う、最初虎に条紋なかったが川岸に生えるケヌダイ樹の汁肉多き果が落ちて虎に中り潰れ虎を汚して条紋を成したと。『本草』に海中の虎鯊能く虎に変ずとある。
一八四六年カンニングハム大尉の『印度ラダック通過記』に今日アルモラー城ある地で往古クリアン・チャンド王が狩すると兎一疋林中に逃げ入って虎と化けた。これは無双の吉瑞で他邦人がこの国を兎ほど弱しと侮って伐つと実は虎ほど強いと判る兆とあってこの地に都を定めたという。ランドの『安南民俗迷信記』にコンチャニエンとて人に似て美しく年歴ると虎に化ける猴ありと。
『本草綱目』に越地深山に治鳥あり、大きさ鳩のごとく青色で樹を穿ってを作る、大きさ五、六升の器のごとく口径数寸餝るに土堊を以てす、赤白相間わり状射候のごとし。木を伐る者この樹を見ればすなわちこれを避く、これを犯せば能く虎を役して人を害し人の廬舎を焼く、白日これを見れば鳥の形なり、夜その鳴くを聞くに鳥の声なり、あるいは人の形と作る、長三尺澗中に入りて蟹を取りて人間の火について炙り食う、山人これを越祀の祖というと載す。
『和漢三才図会』にこれをわが邦の天狗の類としまたわが邦いわゆる山男と見立てた説もあるが、本体が鳥で色々に変化し殊に虎を使うて人を害するなど天狗や山男と手際が違う。とにかく南越地方固有の迷信物だ。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収