田原藤太竜宮入りの話(その36)

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     またふか類にもその形竜蛇に似たるが多く、これも海中に竜ありてふ信念を増し進めた事疑いなし、梵名マカラ、内典に摩竭魚と訳す、その餌をるに黠智かつち神のごとき故アフリカや太平洋諸島で殊に崇拝し、熊野の古老は夷神はその実鮫を祀りてかつお等を浜へ追い来るを祈るに基づくと言い、オランラウト人は鮫と※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)を兄弟とす、

    予の鮫崇拝論は近い内『人類学雑誌』へ出すが、少分すこしは六年前七月の同誌に載せた「本邦における動物崇拝」なる拙文に書き置いたからそれに譲るとして、竜と鮫の関係につきここに述ぶるは、上に言うた通りわが邦でタツというはもと竜巻を指した名らしく外国思想入りて後こそ『書紀』二十六、斉明さいめい天皇元年〈五月さつき庚午かのえうまついたちのひ空中おおぞらのなかにして竜に乗れる者あり、かたち唐人もろこしびとに似たり、青きあぶらぎぬの笠を着て云々〉など出でたれ、神代には支那の竜と同じものはなかったらしい、

    『書紀』二に豊玉姫とよたまひめ産む時夫彦火々出見尊ひこほほでみのみこと約にそむうかがいたもうと豊玉姫産にあたり竜にりあったと記されたが、異伝を挙げて〈時に豊玉姫八尋やひろ大熊鰐わに化為りて、匍匐※(「虫+也」、第3水準1-91-51)もごよう。

    遂に辱められたるを以てうらめしとなす〉とあり、『古事記』には〈その産にあたっては八尋の和邇わにと化りて匍匐い逶蛇もこよう〉とあり、その前文に〈すべて佗国あだしくにの人は産に臨める時、本国もとつくにの形を以て産生む、故に妾今もとの身を以て産をす、願わくは妾を見るなかれ〉、

    これは今日ポリネシア人に鮫を族霊トテムとする輩が事に触れて鮫の所作を為すごとく、姫が本国で和邇を族霊とし和邇の後胤と自信せる姫が子を産む時自ら和邇のごとく匍匐ったのであろう、言わば狐付きが狐の所作犬神付きが犬神の所作をし、アフリカで※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)神が高僧にく時言語全く平生に異なりしきりに水に入らんと欲し、河底を潜り上って※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)同然泥中に平臥するがごとし(レオナード著『ラワーニゲルおよびその民俗篇エンド・イツ・トライブス』二三一頁)。

    さて『古事記』にこれより先かの尊豊玉姫の父海神わたつみのもとより帰国の時一ひろの和邇に乗りて安著し、その和邇返らんとする時所佩みはかせ紐小刀ひもがたなを解いてその頸に付けて返したまいし故その一尋の和邇を今に佐比持神さひもちのかみというと見え、『書紀』に稲飯命いなひのみこと熊野海で暴風にい、ああわが祖は天神あまつかみ母は海神なるにいかで我を陸にも海にも厄するかと言いおわって剣を抜きて海に入り鋤持神さひもちのかみとなるとある、

    この鋤の字を佐比とむ事『古事記伝』ではつまびらかならず、予種々考えあり、ここには煩わしきをはばかって言えぬが大要今日の鶴嘴つるはし様に※(「金+纔のつくり」、第3水準1-93-44)曲ってその中央に柄が付いた鋤を佐比と言い、そのごとく曲った刀を鋤鈎さひちというたとおもう、中古にも紀朝臣佐比物さひもち、玉作佐比毛知など人の名あればその頃まで用いられた農具だ、

    彦火々出見尊が紐小刀を和邇の頸に附けてその形が佐比様すなわち鶴嘴様になりしよりその和邇を佐比持神というたてふ牽強説で、宣長が「卑しけど雷木魅こだまきつね虎竜のたぐいも神の片端」と詠んだごとく、昔は邦俗和邇等の魚族をも奇怪な奴を神としたのだ、

    さて鮫の一類に撞木鮫しゅもくざめ英語でハンマー・ヘッデット・シャーク(槌頭の鮫)とて頭丁字形を成し両端に目ありすこぶる奇態ながインド洋に多く欧州や本邦の海にも産するのが疑いなくかの佐比神だ、十二年前熊野勝浦の漁夫がこの鮫を取って船に入れ置き、こむらを大部分噛みかれ病院へ運ばるるを見た、


    獰猛な物で形貌奇異だから古人が神としたのも無理でない、これで和邇とは古今を通じて鮫の事で神代既に熊和邇、佐比持などその種類を別ちおったと知る、

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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