田原藤太竜宮入りの話(その12)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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  • 竜とは何ぞ
  • 竜の起原と発達
  • 竜の起原と発達(続き)
  • 本話の出処系統

  • (竜とは何ぞ1)

         竜とは何ぞ

     昔孔子※(「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41)ろうたんを見て帰り三日かたらず、弟子問うて曰く、夫子ふうし※(「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41)を見て何をただせしか、孔子曰く、われ今ここにおいて竜を見たり、竜はうて体を成し散じて章を成す、雲気に乗じて陰陽は養わる、われ口張って[#「口+脅」、144-4]う能わず、また何ぞ老※(「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41)を規さんや(『荘子』)。

    『史記』には、
    孔子きて弟子にいいて曰く、鳥はわれその能く飛ぶを知り、魚はわれその能くおよぐを知り、獣はわれその能く走るを知る。走るものは以てあみを為すべし、游ぐものは以ていとを為すべし、飛ぶものは以て※(「矢+曾」、第4水準2-82-26)いぐるみを為すべし。竜に至ってわれ知る能わず、その風雲に乗りて天に上るを。われ今日老子まみゆ、それなお竜のごときか〉
    とある、孔子ほどの聖人さえ竜を知りがたき物としたんだ。

    されば史書に、〈太昊たいこう景竜の瑞あり、故に竜を以て官に紀す〉、また〈※(「女+咼」、第3水準1-15-89)じょか黒竜を殺し以て冀州きしゅうすくう〉、また〈黄帝は土徳にして黄竜あらわる〉、また〈夏は木徳にして、青竜郊に生ず〉など、吉凶とも竜の動静を国務上の大事件として特筆しおり、天子の面を竜顔に比し、非凡の人を臥竜と称えたり。漢高祖や文帝や北魏の宣武など、母が竜に感じて帝王を生んだ話も少なからず。

    かくまで尊ばれた支那の竜はどんな物かというに、『本草綱目』の記載が、いと要を得たようだから引こう。いわく、
    〈竜形九似あり、頭駝に似る、角鹿に似る、眼鬼に似る、耳牛に似る、項蛇に似る、腹蜃に似る(蜃は蛇に似て大きく、角ありて竜状のごとく紅鬣、腰以下鱗ことごとく逆生す)、鱗鯉に似る、爪鷹に似る、掌虎に似るなり、背八十一鱗あり、九々の陽数を具え、その声銅盤をつがごとし、口旁に鬚髯あり、頷下に明珠あり、喉下に逆鱗あり、頭上に博山あり、尺水と名づく、尺水なければ天に昇る能わず、気を呵して雲を成す、既に能く水と変ず、また能く火と変じ、その竜火湿を得ればすなわちゆ、水を得ればすなわちく、人火を以てこれを逐えばすなわちむ、竜は卵生にして思抱す〉

    (思抱とは卵を生んだ親が、卵ばかり思い詰める力で、卵が隔たった所にありながらかえり育つ事だ。インドにもかかる説、『阿毘達磨倶舎論あびだつまくしゃろん』にづ、いわく、〈太海中大衆生あり、岸に登り卵を生み、沙内に埋む、還りて海中に入り、母もし常に卵を思えばすなわちこぼたず、もしそれ失念すれば卵すなわち敗亡す〉、これ古人が日熱や地温が自ずから卵を孵すに気付かず、専ら親の念力で暖めると誤解するに因る)、

    〈雄上風に鳴き、雌下風に鳴く、風に因りて化す〉

    (親の念力で暖め、さて雄雌の鳴き声が風にれて卵に達すれば孵るのだ、『類函』四三八に、竜をえがく者のかたへ夫婦の者来り、竜画をた後、竜の雌雄さま同じからず、雄はたてがみ尖りうろこ密にかみふとしもぐ、雌は鬣円く鱗薄く尾が腹よりもふといといい、画師不服の体を見て、われらすなわち竜だからたしかに見なさいといって、雌雄の竜にって去ったとづ、同書四三七に、斉の盧潜竜鳴を聞いて不吉とし城を移すとあり、予も鰐鳴を幾度も聞いた)、

    〈そのつるむときはすなわち変じて二小蛇とる、竜の性粗猛にして、美玉空青ぐんじょうづ、喜んで燕肉を嗜む(ローランの『仏国動物俗談フォーン・ポピュレール・ド・フランス』巻二、三二二頁に、仏国南部で燕が捷く飛び廻るは竜に食わるるを避けてなりと信ぜらるとある)、鉄および※草もうそう[#「くさかんむり/罔」、146-2]蜈蚣楝葉せんだんのは五色糸を畏る、故に燕を食うは水を渡るを忌み、雨を祀るには燕を用う、水患を鎮むるには鉄を用う、『説文』に竜春分に天に登り、秋分に淵に入る〉。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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