(竜とは何ぞ2)
支那に劣らずインドまた古来竜を神視し、ある意味においてこれを人以上の霊物としたは、諸経の発端毎に必ず諸天神とともに、諸竜が仏を守護聴聞する由を記し、仏の大弟子を竜象に比したで知れる。『大方等日蔵経』九に、〈今この世界の諸池水中、各竜王ありて停止り守護す、娑伽羅等八竜王のごときは、海中を護り、能く大海をして増減あるなからしむ、阿奴駄致等四竜王、地中を守護し、一切の河を出だす、流れ注ぎて竭きることなし、難陀優波難陀二竜王、山中を守護するが故に、諸山の叢林鬱茂す云々、毘梨沙等、小河水にて守護を為す〉。
それから諸薬草や地や火や風や樹や花や果や、一切の工巧や百般の物を護る諸竜の名を挙げおり、『大灌頂神呪経』に三十五、『大雲請雨経』に百八十六の竜王を列べ、『大方等大雲経』には三万八千の竜王仏説法を聴くとあり、『経律異相』四八に、竜に卵生・胎生・湿生・化生の四あり、皆先身瞋恚心曲り端大ならずして布施を行せしにより今竜と生まる、七宝を宮となし身高四十里、衣の長さ四十里、広さ八十里、重さ二両半、神力を以て百味の飲食を化成すれど、最後の一口変じて蝦蟇と為る、もし道心を発し仏僧を供養せば、その苦を免れ身を変じて蛇と為るも、蝦蟇と金翅鳥に遭わず、※[#「(口+口)/田/一/黽」、146-16]魚鼈を食い、洗浴衣服もて身を養う、身相触れて陰陽を成す、寿命一劫あるいはそれ以下なり、裟竭、難陀等十六竜王のみ金翅鳥に啖われずとある。
金翅鳥は竜を常食とする大鳥で、これまた卵胎湿化の四生あり、迦楼羅鳥王とて、観音の伴衆中に、烏天狗様に画かれた者だ。これは欧州やアジア大陸の高山に住む、独語でラムマーガイエル、インド住英人が金鷲と呼ぶ鳥から誇大に作り出されたらしい、先身高慢心もて、布施した者この鳥に生まる。
『僧護経』にいわく竜も豪いが、生まるる、死ぬる、婬する、瞋る、睡る、五時に必ず竜身を現じて隠す能わず。また僧護竜宮に至り、四竜に経を教うるに、第一竜は黙って聴受、第二竜は瞑目口誦し、第三竜は廻顧て、第四竜は遠在て聴受た、怪しんで竜王に向い、この者ら誠に畜生で作法を弁えぬと言うと、竜王そう呵りなさんな、全く師命を護らん心掛けだ、第一竜は声に毒あり、第二竜は眼に毒あり、第三竜は気に、第四竜は触るに毒あり、いずれも師を殺すを虞れて、不作法をあえてしたと語った。
また竜の三患というは、竜は諸鱗虫の長で、能く幽に能く明に、能く大に能く小に、変化極まりなし、だが第一に熱風熱沙毎もその身を苦しめ、第二に悪風暴かに起れば身に飾った宝衣全く失わる、第三には上に述べた金翅鳥に逢うと死を免れぬ、それから四事不可思議とは、世間の衆生いずこより生れ来り、死後いずこへ往くか判らぬ、一切世界衆生の業力に由りて成り、成っては壊れ、壊れては成り、始終相続いて断絶せぬ、それから竜が雨を降らすに、口よりも眼鼻耳よりも出さず、ただ竜に大神力ありて、あるいは喜びあるいは怒れば雨を降らす、この四をいうのじゃ(『大明三蔵法数』十一、十八)。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収