田原藤太竜宮入りの話(その1)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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    ※この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)



         話の本文

     この話は予の知るところでは、『太平記』十五巻に出たのが最も古い完全な物らしい、馬琴ばきんの『昔語質屋庫むかしがたりしちやのくら』二に、ある書にいわくと冒頭して引いた文も多分それから抄出したと見える。その『太平記』の文は次のごとし。

    いわく、
    (延元元年正月、官軍三井寺みいでら攻めに)
     前々せんぜん炎上の時は、寺門の衆徒、これを一大事にして隠しける九乳きゆうにゆう鳧鐘ふしようも、取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり、この鐘と申すは、昔竜宮城より伝はりたる鐘なり、その故は承平の頃俵藤太秀郷ひでさとといふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多せたの橋を渡りけるに、たけ二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、ならべるつのするどにして、冬枯れの森のこずえに異ならず、くろがねの牙上下にちごふて、紅の舌ほのおを吐くかと怪しまる、もし尋常よのつねの人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、かの大蛇のせなかの上を、荒らかに踏みて、しずかに上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、はるかに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然こつぜんとして秀郷が前にきたつていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今御辺ごへんほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来としごろ地を争ふ敵あつて、ややもすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺、我敵を討つてたび候へとねんごろかたらひけれ、秀郷一義もいはず、子細あるまじと領状して、すなはちこの男をさきに立て、また勢多の方へぞ帰りける、二人共に湖水の波を分けて水中に入る事五十余町あつて、一の楼門あり、開いて内へ入るに、瑠璃るりいさご厚く、玉のいしだたみ暖かにして、落花自ずから繽紛ひんぷんたり、朱楼紫殿玉の欄干こがねこじりにししろがねを柱とせり、その壮観奇麗いまだかつて目にも見ず、耳にも聞かざりしところなり。

     この怪しげなりつる男、まづ内へ入つて、須臾しゆゆの間に衣冠を正しくして、秀郷を客位にしようず、左右侍衛官しえのかん前後花のよそおひ、善尽し美尽せり、酒宴数刻に及んで、夜既にふけければ、敵の寄すべきほどになりぬと周章あわて騒ぐ、秀郷は、一生涯が間身を放たで持ちたりける、五人ばりにせきづる懸けて湿しめし、三年竹の節近ふしぢかなるを、十五束二伏ふたつぶせこしらへて、やじり中子なかご筈本はずもとまで打ち通しにしたる矢、たゞ三筋を手挟たばさみて、今や/\とぞ待ちたりける、夜半過ぐるほどに、雨風一通り過ぎて、電火の激する事ひまなし、しばらくあつて比良ひら高峯たかねの方より、焼松たいまつ二、三千がほど二行に燃えて、中に島のごとくなる物、この竜宮城をしてぞ近づきける、事のてい能々よくよく見るに、二行にとぼせる焼松は、皆おのれが左右の手に点したりと見えたり、あはれこれは、百足蛇むかでの化けたるよと心得て、矢比やごろ近くなりければ、くだんの五人張に十五束三伏みつぶせ、忘るゝばかり引きしぼりて、眉間みけんの真中をぞ射たりける、その手答へ鉄を射るやうに聞えて、筈を返してぞ立たざりける、秀郷一の矢を射損じて安からず思ひければ、二の矢をつごうて、一分もちがへず、わざと前の矢所やつぼをぞ射たりける、この矢もまた、前のごとくに躍り返りて、これも身に立たざりけり、秀郷二つの矢をば、皆射損じつ、たのむところは矢一筋なり、如何いかんせんと思ひけるが、きつと案じ出だしたる事あつて、この度射んとしける矢先に、唾を吐き懸けて、また同じ矢所をぞ射たりける、この矢に毒を塗りたる故にや依りけん、また同じ矢坪を、三度まで射たる故にや依りけん、この矢眉間の只中ただなかとおりて、喉の下まで、ぶくら責めてぞ立ちたりける、二、三千見えつる焼松も、光たちまち消えて、島のごとくにありつる物、倒るゝ音大地を響かせり、立ち寄りてこれを見るに、果して百足のむかで[#「虫+玄」、124-12]なり、竜神はこれを悦びて、秀郷を様々にもてなしけるに、太刀一振ひとふり巻絹まきぎぬ一つ、鎧一領、頸うたる俵一つ、赤銅しやくどう撞鐘つきがね一口を与へて、御辺の門葉もんように、必ず将軍になる人多かるべしとぞ示しける。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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