(竜の起原と発達3)
全体竜と蛇がどう差うかといわんに、『本草綱目』に、今日の動物学にいわゆる爬虫類から亀の一群を除き、残った諸群の足あるものを竜、足なきを蛇とし居る。アリストテレスが爬虫を有鱗卵生四足(亀と蜥蜴)、卵生無足(蛇)、無鱗卵生四足(蛙の群)に別ったに比して、亀と蛙を除外しただけ分類法が劣って居るが、欧州でも近世まで学者中に獣鳥魚のほか一切の動物を虫と呼び通した例すらあれば、それに比べて『綱目』の竜蛇を魚虫より別立し、足の有無に拠って竜類すなわち蜥蜴群と蛇群を分けたは大出来で、その後本邦の『訓蒙図彙』等に竜は鱗虫の長とて魚類に、蛇は字が虫篇故蝶蠅などと一つに虫類に入れたは不明の極だ。さて支那にも僧など暇多い故か、観察の精しい人もあって、後唐の可止てふ僧托鉢して老母を養い行きながら、青竜疏を誦する事三載、たちまち巨蟒あって房に見る。
同院の僧居暁は博物なり、曰く蛇の眼は瞬かぬにこの蟒の眼は動くから竜だろうと、止香を焚いて蟒に向い、貧道青竜疏を念ずるに、道楽でなく全く母に旨い物を食わせたい故だ、竜神何卒好き檀越に一度逢わせてくださいと頼むと、数日後果して貴人より召され、夥しく供養されたという(『宋高僧伝』七)。
拙者も至って孝心深く、かつ無類の大食なれば、可止法師に大いに同感を寄するが、それよりも感心なは居暁の博物で、壁虎の眼が瞬かぬなど少々の例外あれど、今日の科学精覈なるを以てしても、一汎に蛇の眼は瞬かず、蜥蜴群の眼が動くとは、動かし得ざる定論じゃ。
それを西人に先だって知りいたかの僧はなかなか豪いと南方先生に讃めてもらうは、俗吏の申請で正六位や従五位を贈らるるよりは千倍悦んで地下に瞑するじゃろう。ただし、生きた竜の眼を実験とは容易にならぬこと故、これを要するに、例外は多少ありながら、竜蛇の主として別るる点は翼や角を第二とし、第一に足の有無にある。
『想山著聞奇集』五に、蚯蚓が蜈蚣になったと載せ、『和漢三才図会』に、蛇海に入って石距に化すとあり、播州でスクチてふ魚海豹に化すというなど変な説だが、蛆が蠅、蛹が蛾となるなどより推して、無足の物がやや相似た有足の物に化ける事、蝌蚪が足を得て蛙となる同然と心得違うたのだ。これらと同様の誤見から、無足の蛇が有足の竜に化し得、また蛇を竜の子と心得た例少なからぬ。南アフリカの蜥蜴蛇など、前にも言った通り蜥蜴の足弱小に身ほとんど蛇ほど長きものを見ては誰しも蛇が蜥蜴になるものと思うだろ。
『蒹葭堂雑録』の二足蛇のほか本邦にかかる蜥蜴あるを聞かぬが、これらは主に土中に棲んで脚の用が少ないから萎減し行く退化中のもので、アフリカに限らず諸州にあり。実際と反対に蛇が竜に変ずるてふ誤信を大いに翼け、また虫様の下等竜すなわち竜てふ想像動物の基となっただろう。竜は支那人のみならずインド人も実在を信じたらしい(『起世因本経』七、『大乗金剛髻珠菩薩修行分経』)。
『本草綱目』にいう、
〈蜥蜴一名石竜子、また山竜子、山石間に生ず、能く雹を吐き雨を祈るべし、故に竜子の名を得る、陰陽折易の義あり、易字は象形、『周易』の名けだしこれに取るか、形蛇に似四足あり、足を去ればすなわちこれ蛇形なりと〉、
『十誦律』に、
〈仏舎衛国にあり、爾時竜子仏法を信楽す、来りて祇に入る、聴法のため故なり、比丘あり、縄を以て咽に繋ぎ、無人処に棄つ、時に竜子母に向かいて啼泣す〉、
母大いに瞋り仏に告ぐ、仏言う今より蛇を※[#「罘」の「不」に代えて「絹のつくり」、179-2]する者は突吉羅罪とす、器に盛り遠く無人処に著くべしと。いずれも蛇を竜の幼稚なものとしたので、出雲佐田社へ十月初卯日ごとに竜宮から竜子を献るというも、実は海蛇だ。
『折焚柴記』に見えた霊山の蛇など、蛇が竜となって天上した談は極めて多い(蛇が竜に化するまでの年数の事、ハクストハウセンの『トランスカウカシア』に出づ)。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収