(竜とは何ぞ7)
さてフ氏またいわく、一汎に言えば竜の悪名は好誉より多く、欧州では悪名ばかり残れり。キリスト教は古宗教の善悪の諸竜を混同して、一斉にこれを邪物とせり、かくて上世の伝説外相を変えて、ミカエル尊者、ジョージ尊者等、上帝に祈りて竜を誅した譚となり、以前ローマの大廟に窟居して大地神女を輔け人に益した神蛇も、法王シルヴェストル一世のために迹を絶つに及べり。
北欧の大蛇も、東方南方の大蛇と性質同じく罪悪の主、隠財の守護にして、人が好物を獲るを遮る。故に中世騎士勇を以て鳴る者竜を殺すをその規模とし、近世と余り隔たらぬ時代まで学者も竜実に世にありと信ぜり。
ただし研究追々進みては、竜も身を人多き地に置き得ず、アルプス山中無人の境をその最後の潜処としたりしを、ジャク・バルメーンその妄を弁じてよりついに竜は全く想像で作られたものと判れり。これより前一五六四年死せるゲスネルの判断力、当時の学者輩に挺特せしも、なおその著『動物全誌』(ヒストリア・アニマリウス)に竜を載せたるにて、その頃竜の実在の信念深かりしを知るべしと。
フ氏曰く、竜の形状は最初より一定せず、カルジアのチャーマットは躯に鱗ありて四脚両翼を具せるに、エジプトのアポピとギリシア当初の竜は巨蛇に過ぎず。『新約全書』末篇に見えた竜は多頭を一身に戴き、シグルドが殺せしものは脚あり。欧州でも支那でも、竜の形状は多く現世全滅せる大蜥蜴類の遺骸を観て言い出したは疑いを容れず。支那や日本の竜は、空中を行くといえど翼なしと。
熊楠いわく、支那でも、古く黄帝の世に在った応竜は翼あった。また鄒陽の書に、〈蛟竜首を驤げ、翼を奮えばすなわち浮雲出流し、雲霧咸集まる〉とあれば、漢の世まで、常の竜も往々有翼としたので、『山海経』に、〈泰華山蛇あり肥遺と名づく、六足四翼あり〉など、竜属翼ある記事も若干ある。結局翼なくても飛ぶと讃えてこれを省いたと、蛇や蜥蜴に似ながら飛行自在なる徴に翼を添えたと趣は異にして、その意は一なりだ。
フ氏の言いぶり古エジプトの竜も、単に大蛇にほかならぬようだが、日神の敵アポピは、時に大蛇、時にたり(バッジ『埃及諸神譜』一)、その他の大蛇にも、脚や翼を具えたのがある故、蛇よりは竜夥のものだ。西洋の竜とても、ローマの帝旗として竜口を銀、他の諸部を彩絹で作り、風を含めば全体膨れて、開いた口が塞がれなかった、その竜に翼なし。さてローマ帝国のプリニウスの『博物志』(ヒストリア・ナチュラリス)』に、竜の事を数章書きあるが、翼ある由を少しも述べず、故にフ氏が思うたほど、東西の竜が無翼有翼を特徴として区別判然たるものでない。
また『五雑俎』に、竜より霊なるはなし、人得てこれを豢う。唐訳『花厳経』七八に、〈人あり竜を調す法を善くす、諸竜中において、易く自在を得〉、西洋にも昔はそうと見えて、プリニウス八巻二十二章に、ギリシア人トアス幼時竜を畜い馴らせしに、その父その長大異常なるを懼れ沙漠に棄つ、後トアス賊に掩撃された時、かの竜来り救うたとある。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収