(竜とは何ぞ6)
かく竜てふ物は、東西南北世界中の大部分に古来その話があるから、東洋すなわち和漢インド地方だけの事識れりとて、竜の譚全体を窺うたといわれぬ、英国のウォルター・アリソン・フィリップ氏の竜の説に、すこぶる広く観て要を約しあるから、多少拙註を加えて左に抄訳せり。
ついでに述ぶ、前節に相師が妙光女を見て、この女必ず五百人と交わらんといった話を述べたが、一八九四年版ブートン訳『亜喇伯夜譚補遺』一にも、アラビアで一女生まれた時、占婦卜してこの女成人して、必ず婬を五百人に売らんと言いしが中った事あり、わが邦にも『水鏡』恵美押勝討たれた記事に
「また心憂き事侍りき、その大臣の娘座しき、色容愛たく世に双人なかりき、鑑真和尚の、この人千人の男に逢ひ給ふ相座すと宣はせしを、たゞ打ちあるほどの人にも座せず、一、二人のほどだにも争でかと思ひしに、父の大臣討ち取られし日、御方の軍千人ことごとくにこの人を犯してき」、
いずれも妙光女の仏話から生じたらしいと、明治四十一年六月の『早稲田文学』へ書いて置いた。
『呉越春秋』か『越絶書』に、伍子胥越軍を率いて、その生国なる楚に討ち入り、楚王の宮殿を掠めた時、旧君たりし楚王の妃妾を強辱して、多年の鬱憤を晴らしたとあった。『将門記』に、平貞盛と源扶敗軍してその妻妾将門の兵に凌辱せられ、恥じて歌詠んだと出づ。強犯されて一首を吟むも、万国無類の風流かも知れぬが、昔は何国も軍律不行届かくのごとく、国史に載らねど、押勝の娘も、多数兵士に汚された事実があったのを、妙光女の五百人に二倍して、千人に云々と作ったのであろう。
フィリップ氏曰く、竜の英仏名ドラゴンは、ギリシアにドラコン、ラテンのドラコより出で、ギリシアのドラコマイ(視る)に因んで、竜眼の鋭きに取るごとしと。ウェブストルに、竜眼怖ろしきに因った名かとある方、釈き勝れりと惟う。
例せば上に引いたペルシアの『シャー・ナメー』に、竜眼を血の湖に比べ、欧州の諸談皆竜眼の恐ろしきを言い、殊に毒竜バシリスクは、蛇や蟾蜍が、鶏卵を伏せ孵して生ずる所で、眼に大毒あり能く他の生物を睨み殺す、古人これを猟った唯一の法は、毎人鏡を手にして向えば、彼の眼力鏡に映りて、その身を返り射、やにわに斃死せしむるのだったという(ブラウン『俗説弁惑』三巻七章、スコッファーン『科学俚俗学拾葉』三四二頁以下)。
シュミットの『銀河制服史』に、十六世紀に南米に行われた俗信に、井中にあるを殺す唯一の法は鏡を示すにあり、しかる時彼自分の怖ろしき顔を見て死すとあるは、件の説の焼き直しだろ。わが邦にも魔魅、蝮蛇等と眼を見合せばたちまち気を奪われて死すといい(『塵塚物語』三)、インドにも毒竜視るところことごとく破壊す(『毘奈耶雑事』九)など説かれた。
フ氏曰く、竜は仮作動物で、普通に翼ありて火を吐く蜥蜴また蛇の巨大なものと。まずそうだが、東洋の竜が千差万別なるごとく、西洋の竜も記載一定せぬ、
中世英国に行われたサー・デゴレの『武者修行賦』から、その一例を引かんに、ここに大悪竜あり、全身あまねく火と毒となり、喉濶く牙大にしてこの騎士を撃たんと前む、両足獅のごとく尾不釣合に長く、首尾の間確かに二十二足生え、躯酒樽に似て日に映じて赫耀たり、その眼光りて浄玻璃かと怪しまれ、鱗硬くして鍮石を欺く、また馬様の頸もと頭を擡ぐるに大力を出す、口気を吹かば火焔を成し、その状地獄の兇鬼を見るに異ならず(エリス『古英国稗史賦品彙』二版、三巻三六六頁)、
フ氏続けていわく、ギリシア名ドラコンは、もと大蛇の義神誌に載せ、竜は形容種々なれど実は蛇なり。カルデア、アッシリア、フェニキア、エジプト等、大毒蛇ある諸国皆蛇また竜を悪の標識とせり、例せばエジプト教のアポピは闇冥界の大蛇で、日神ラーに制服され、カルデアの女神チャーマットは、国初混沌の世の陰性を表せるが、七頭七尾の大竜たり。ヘブリウの諸典また蛇あるいは竜を死と罪業の本とて、キリスト教の神誌これを沿襲せり。
しかるにギリシア、ローマには一方に蛇を兇物として蛇髪女鬼、九頭大蛇等、諸怪を産出せる他の一方に、竜種を眼利く地下に住む守護神として崇敬せり。例せば医神アスクレピオスの諸祠の神蛇、デルフィの大蛇、ヘスペリデスの神竜等のごとしと。熊楠バッジ等エジプト学者の書を按ずるに、古エジプト人も古支那と同じく、竜蛇を兇物とばかり見ず善性瑞相ありとした例も多く、神や王者が自分を蛇に比べて、讃頌したのもある。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収