4 曼陀羅花
『本草綱目』一七、押不虚(ヤブルウ)の次に曼陀羅花あり。その名が似ることからこれをマンドラゴラと想う人がいる。李時珍の説に、『法華経』に、仏が説法の時、天はこの花を降らす。また道家、北斗に陀羅星使者がいて手にこの花をとる。故にそこから後人が曼陀羅花と名づく、梵言雑色である。(中略)姚伯声が『花品』に悪客とよびなす、とある。仏経にいわれる曼陀羅花は、天妙花また適意花と訳し、帝釈天の五木の一で、インドから琉球に多く産するデイゴ(梯姑)、学名エリツリナ・インジカ、また同属のエリツリナ・フルゲンスとのこと。いずれも英語でコラル・ツリー(珊瑚木)、花が赤くて美しいゆえに名づける。
「器量よけれど、わしゃボケの花、神や仏に嫌わるる」。日本では刺のある花を神仏が忌むというのに、インドでは花さえ美しければ、刺が多かろうが、臍まで毛が生えてあろうが構わぬとみえる。この木には刺が多い。よって支那で刺桐と呼ぶ。むかし福建の泉州に城を築いた時、盗みを防ぐ一助でもあろうか、刺桐を回りに囲んで植えたので刺桐城と通称された。唐の陳陶の泉州城の刺桐花の詠六首等がある。
当時アラブ人が多く渡唐し、刺桐の音がゼイツン(オリーブ樹のアラブ名)に近いから、刺桐城すなわち泉州城をゼイツンすなわちオリーブ城と呼んだ。ゼイツンを唐のころ斉暾と音訳したが、それはオリーブのことで、中国の胡麻のように油を取って用いることなどが書いてある。オリーブは唐朝の支那になかったゆえ、珍聞として書き留めたのだ。それを知らずに、本邦の本草学者の牽強を沿襲して、今もエゴノキを斉墩果(墩は暾が正しい)と書くのは、誤りを守るに忠なるものだ。
(1888年版、アイテル『支那仏教学者必携』94頁。上引、バルフォール『印度事業』1巻105頁。『広群芳譜』七三。明治40年12月発行『東洋学芸雑誌』315号、拙文「オリーヴ樹の漢名」)
さて『本草綱目』の曼陀羅花は、木でなくて毒草だから、仏が持ったとか極楽を飾るとかいう曼陀羅花(すなわちデイゴ、漢名刺桐)とちがう。また 『本草』 の曼陀羅花は、独茎直上4〜5尺とか白花を開くとか、まるでマンドラゴラの茎がほとんどなく、花紫であるのと異なっている。決してマンドラゴラでない(1880年版、ラウドン『植物辞彙』154頁)。
『重修植物名実図考』二四下に、「『嶺外代答』、広西の曼陀羅花は、大葉白花で、茄子のように実を結び、しかも全体に小さい刺を生ずる。すなわち薬人草である。盗賊は採って乾かしてこれを粉にし、これを人の飲食に混ぜて、酔い苦しませ、盗みを行う。 南人はあるいはこれを小児の飲み薬となし、癪(しゃく)を甚だ速やかに除く」と出し、『秘伝花鏡』五に、その実は円くてイガがあると記しているのは、従来邦人がチョウセンアサガオに当てたのを正しいと証する。『花鏡』に「曼陀羅花は、けだし秀語である」とあるのは、詰まらぬ物に花を持たせやったとの意で、まずそんなことだろう。
〔チョウセンアサガオ(ダツラ)属は、マンドラゴラ同様、茄科の植物で、 両半球の熱地に産し、全15種ある。本邦にも2種が植えられ、1種が帰化したという。いずれも麻酔性があって毒物である。インドでも、盗賊がこれで人を昏迷させる。妊婦は、ひそかにこれを飲食に混じて夫を毒し、その眼前で奸を行なっても、夫は少しも覚えていない。主婦の苛酷を怨む妓婢は、それでもって主婦を失神させて、自分に金をくれた人に主婦を犯させ、妊娠させたことすらあるという。
インド人はダツラの花をシヴァ神(摩醯首羅王)が愛するとする。そのことは仏や帝釈が曼陀羅花を手に持つことに類するより、二者を混じてダツラを曼陀羅花と心得たので、道家でも陀羅星使者などを作り出したのだろう。 ダツラは、この物のヒンズー名で、もとその梵名ドハッツラに由来する。エングレルおよびプラントル『植物自然分科篇』4篇3部26-27頁。牧野・田中共編『科属検索日本植物志』512頁。バルフォール『印度事業』1巻897頁。1679年パリ新版、ピラール・ド・ラヴァル『航海記』2巻69頁)〕
また『本草図譜』一八に、狼毒をマンドラゴラに近いと言ったが、『本草綱目』に狼毒の形状を載せていない。苗が大黄に似るなど短文であるのみ。『名実図考』に、本草書、狼毒において、みなはなはだ明らかならずといい、二書のその図がちっともマンドラゴラに似ていない。そんな物をかれこれ推測したって当たるはずがない。よって繰り返し、押不虚のみが、マンドラゴラの漢名と断言しておく。
ついでにいうが、『本草和名』一一に、狼毒をヤマサクと訓ずる。『博物志』に「防葵は狼毒に似る」。防葵は何物であるのか知らないが、『綱目』の記載と図を併せみれば、繖形科(さんけいか:セリ科)の物とわかる。それに似たというから、 狼毒も繖形科の物らしい。さて本邦にシャクまた山ニンジンという繖形科の草がある。このシャクが、むかし狼毒に当てられたヤマサクと、何らか連絡があるのかと想う(『倭名類聚抄』一〇参照)。