2 方術に植物の根を用いる例
方術に植物の根を用いる例は支那に限らない。往年この田辺に近い漁村のある老婦(予の知人の姑)が蔓荊(まんけい:ハマゴウ、『郷土研究』5巻5号324頁〔南方「ハマボウとハマゴウ」をみよ)の根本に畸形のこぶが自然に大黒とか恵比須とかの像と見えるのを採って帰り、祈れば予言して福をお授けになるといって人を集めて賽銭をせしめて、警察事件を生じた。この木の根本は波と砂に揉まれ、往々異態のこぶを生じる。
予も、紀伊の国は西牟婁郡富田中村の浜で、相好円満、四具皆備の妙門形の物を獲、転輪聖王玉女宝と銘し、「一切衆生の途(みち)に迷うところ、十方諸仏の身を出だすの門」と、狂雲子の詩句をその箱にかき付け、恋しいときにも悲しいときにも帰命頂礼している。かの老婦は、代々エビス卸しを務めた女巫の家に生まれたというので、この木のこぶは、古来その修法に使われたと察する。
(喜多村信節『ききのまにまに』、寛政11年、谷原村長命寺山内ユズリハの木のこぶ、人面に似ているといって、見物人が出た。『夷堅志補』二二には、饒州の大□角樹のこぶがすこぶる鬼面に似ているのが、人に化けて人を打ち、物を奪った譚がある)
これに似たこと、今より約1600年の昔、晋の嵇含が書いた 『南方草木状』に、「五嶺の間に楓木が多い。歳久しくなると、こぶを生じる。一夜、暴風雨に遇うと、その樹のこぶがひそかに成長して、3〜5尺になる。これを楓人という。越の巫はこれを取って術を為すと、神に通ずる験がある。これを取るのに決まりごとを守ってしなければ、化して去る」。
(それより四百年ほど後に成った、唐の張鷲の『朝野僉載』に、江東・江西の山中に多く楓木人がある。楓樹の下において生じ、人の形に似て、長さ3、4尺なり。夜、雷雨があると、成長して樹と等しくなる。人を見ると縮んで旧のごとし。かつて人がいた。笠を被せたところ、翌日見ると、笠は樹の上に掛かっていた。旱の時に雨を欲すれば、竹をもってその頭にくくり、これを禊えば雨が降る。 人が取ってそれを式盤(しきばん:占いの器具)にすれば、きわめて神験がある。楓天棗地(そうち)とはこれである。)
以前、和歌山城で加藤清正が朝鮮より持ち帰った楓の枯木を所蔵し、明治7年の日照りに、これを借りて泥を塗れば雨が降るといって、村民らが県庁へ押しかけ大騒ぎだった。これ支那で楓のこぶを神物として雨を乞うた遺風だろう。
越後国、「久米山の薬師のみくじトコロにて苦々しくも尊かりけり」。この本尊はトコロの根を練って作ったとのこと。このことはかの如来の諸経にない。古く本邦でトコロの根を練って、方術用諸像を作った痕跡か。上に引いた謝・銭二氏が、樟柳神像は練って作られると言ったのに近い。清の張爾岐いわく、「左道にては、商陸の根を刻んで人の形となす。これを呪すれば、禍福を知ることができる。章柳と名づける」と。だから刻んでも作ったものなのだ。(『嬉遊笑覧』一二。『満菴間話』一)
支那の旧説に、1000歳の栝木(かつぼく)はその下の根が座っている人のようで、長さ7寸、これを刻むと血が出る。その血を足下に塗れば、水上を歩行して沈まない。水に入れば水はこれのために開く。これがあれば淵底に住むことができるのだ。身に塗れば姿を隠す。姿を見られたけれこれを拭う、と。もってのほか、もってだらけの記述だが、その通りならば、身投げを装って、借金取りを避けて、海底に夫婦暮しもでき、また自在に窃盗や夜這いをし済ましこともできるのだ。(『抱朴子』内篇一一)
安南(あんなん:ベトナム)で蠱を仕事とする者は、一草の根の精を祀る。その根精、名はオントーだが、尊敬して曽祖父と称う。その草名はンガイ、山中に生じる。 事蠱者は秘密にこれを山中また原野に培養し、期を定めて一所にこれを祀り、呪を誦したのち、白雄鶏1羽の足を括り、置いて帰って翌日行って見ると、鶏はなくて羽毛のみが残る。さて事蠱者、その法を行いたければ、根精を剋するときを選んで、呪を誦し、いつまでにかくかくのことを仕遂げよと命じてその根を抜く。例えば、刀1本、水牛1頭、亀1尾、家1軒などが敵の体内に生じ、増長して敵を殺せと命ずれば、その通りに成り行く。その根の一片を敵の飲食に入れても彼を殺すことができる。もっとも軽便な一法は、ンガイ根の微分を事蠱者の爪下に匿して、敵に向かって弾き出し、またその口内に含んで敵に話しかけると、敵が答れば死ぬのだ。李時珍、蠱の種別を列ねた中にみえた草蠱とはこれだろう。(1880年サイゴン発行 『仏領交趾支那遊覧探究雑誌』 1巻6号453頁。『本草綱目』四二)
中央アフリカのボンゴ人は、悪鬼、 幽霊、妖巫、梟、蝙蝠、ガラゴ夜猴などを怖れることはなはだしく、これを避けるのにある植物の根を用い、術士でこれを売ることを専業とする者もいる。またその根を使って鬼神と通じ、あるいは人を害することができると信じ、その使用法に精通した酋長に敬服してその威を仰ぐ。ニャムニャム人は、カルラという蔓草の葉腋に出る毬根、まずはムカゴのようで、やや菱の実の形をしたのが、多く生ずればその年は狩りの幸多く、片手に弓をもち、その上でその根を刻めば、矢が必ず当たると信じる。(出版年記なきロンドン3版、英訳、シュヴァインフルト『アフリカの心臓』1巻145頁、2巻245頁)