樟柳神とは何ぞ(口語訳3)

樟柳神:樟柳神とは何ぞ(口語訳1)

1 樟柳神
2 方術に植物の根を用いる例
3 マンドラゴラ、英名でマンドレイク
4 曼陀羅花
5 商陸
6 マンドラゴラの子を孕ます効果

3 マンドラゴラ、英名でマンドレイク

Mandragora Tacuinum Sanitatis.jpg
不明 - Original version on en-Wikipedia: Mandragora Tacuinum Sanitatis.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

 このように根を方術に用いる植物は多般であるが、そのうち、他に抜きんでて最も著名なのはマンドラゴラに極まる。これは地中海地方に2、3種、ヒマラヤ山辺に1種、合わせてただ3、4種より成る一属で、ナス科に属し、紫の花が咲く。とりわけ古く医術、媚術と左道に用いられて過重された1種は、地中海に面する諸国の産で、学名マンドラゴラ・オッフィシナルム。英語でマンドレイク、独語でアルラウネ、露語でアダモヴァゴロヴァ、古へブライ名ズダイム、ペルシア名ヤブルズ、アラブ名イブルッ、パレスチナ名ヤブロチャク。

いま座右にないから月日はわからぬが、確か明治29年か30年の『ネイチャー』に、予はこのヤブチャクなる名を、予未見の書で、明の方密之の『通雅』四一に引かれた『方輿勝略』に押不盧薬と音訳したと書いたのはとにかく、右のペルシア名かアラブ名を、宋末・元初時代に押不慮(ヤブルウ)と音訳したのは疑いを容れない。押不盧は、『本草』にも明の李時珍が、むかし華佗が腸をえぐり胃を洗った外科施術には、こんな薬を用いただろう、と古人の言を引いたのを読んでも、和漢の学者何ものともわからずに過ごしたのを、予が語学と古記述を調べて、初めてマンドラゴラと定めた。

宋末に周密いわく、「回回国の西数千里の地で、きわめて有毒な一物を産する。全く人の形に類し、人参のようだ。その酋、これを名づけて押不慮という。土中の深さ数丈に生じ、人があるいは誤ってこれに触れ、その毒気を着ければ、必ず死ぬ。これを取る方法は、まず周りに人を入れるほどの大きな穴を開け、その後に皮紐でこれに巻く。皮紐は犬の足に繋ぎ、それから杖を用いて犬を撃って追いかける。犬が走って根を抜き取る。犬は毒気に感じ、それによって斃れる。しかる後に、そのまま土の穴の中に埋める。年を経て、しかる後に取り出して乾かし、別に他の薬を用いてこれを制する。常に少しばかりをもって酒に擦りこみ人に飲ませれば、全身麻痺して死ぬ。加えて刀斧をもってするというが、また知らない。3日の後に至り、別に少しの薬をもってこれに投ずれば活きる。けだし、古え華佗が腸をえぐり胃を洗滌することで病を治したのは、必ずやこの薬を用いたのであろう、云々」、と。

(1895年ライプチヒ版、エングレルおよびプラントル 『植物自然分科篇』4篇3部2巻27頁。1884年版、フォーカード『植物伝口碑および歌謡』426頁。1885年3版、バルフォール『印度事彙』2巻844頁。1879年ボストン版、ピッカーリング『植物編年史』247頁。『本草綱目』一七。『癸辛雑識』続集上。『志雅堂雑鈔』)

 西暦7世紀の初め、スペイン・セヴィヤの僧正で、中世最も行なわれた大部の百科全書を物したイシドルスいわく、マンドラゴラの根は男形のと女形のとあり、これを採る人は、これに触れぬよう注意して、その周りを飛び廻らなければならない。まずこの草に犬をしかと括り付け、3日間断食させた後にパンを見せて遠方から呼べば、犬はパンを欲して草を強く引き、根が叫びながら抜ける。その叫びを聞いて犬はすぐその場で死ぬ。 人もそれを聞けば必ずたちまち死ぬから、耳を強く塞ぐことがを必要である。

その根を獲ればどんな病でも癒えないものはない、と。まさしく持主の守護尊となって万病を治し、埋蔵している財宝を見出だし、箱に納めた金銭を2倍に殖やし、邪鬼を避け、恋を叶え、予言をなす等々、その利益をあげれば数えきれないと言い伝えた物だ(1905年版、ハズリット『諸信念および俚伝』2巻385頁。バルフォール『印度事業』前に引いた巻頁)。

しかし、この物は毒薬で、古ギリシアより中世欧州に至るまで、患者に麻酔をかけて施術するのに用い、 アラブの名医アヴィセンナもその功を推奨した。またカルタゴの大将マハルバルは、酒にマンドラゴラを入れて、叛徒多人を眠らせて殺し、ジュリアス・シーザーはシリシアの海賊に捕われた時、マンドラゴラ酒によって彼らを眠らせを逃れたという。

また支那人がマンドラゴラを人参の状のごとしと言ったのと同様、むかしの欧州人は、支那の人参の根が人に似て薬功神のごとしと聞き、支那にもマンドラゴラがあると信じた(1918年版、フレイザー『旧約全書の俚伝』2巻387頁。1855年50版、クルーデン 『旧新約全書要語全解』436頁)。

押不虚という漢名とペルシア語のヤブルズ、アラブ語のイブルッ、パレスチナ語のヤブロと酷似するのみならず、押不慮とマンドラゴラの記載の諸項がかくまで符合するゆえ、予は胡元の威勢が、遠く西亜から地中海浜に及んだ時、彼方で行なわれていたマンドラゴラの諸談が支那に入ってきて、その名を押不虚として周密によって筆せられたと知った。

(それから方密之の『物理小説 』一二に、ラマ僧が肢を断ち、また継ぐ術があるのを記して、「すなわち『北史』の押不虚のごときであろうか」 とある。これを読んで忽然 『北史』に押不虚を載せてあると信じたら大間違いで、『北史』九七には、南北朝の魏の真君への朝貢に悦般国(えっぱんこく:5世紀に中央アジアに存在したテュルク系遊牧国家)から、大出血した者の口に入れるとわずかの間に血が止まり、痕を留めぬ草を用いる幻人を送った、支那の諸名山にもその草があると言った、 とあるのみ。通身麻痺のことも、押不虚の名も、いっこうに見えない。 薬験がやや似ているから、この草がすなわち押不虚と著者が臆断したまでだ。)

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「樟柳神とは何ぞ」は『南方熊楠全集 第4巻 雑誌論考 2』所収。

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