人魚
The Little Mermaid... / Klearchos Kapoutsis
田辺へ「人魚の魚」売りが来たとかいうことじゃ。「頼光源の頼光(らいこうみなもとのよりみつ)」の格で、丁寧すぎた言い振りだ。我が輩の家へ魚売りに来る江川の女が、柴庵のことをモーズさんと言う。吉人は言葉少なしと言うが、苗字の毛利のモと坊主のズと、百舌のように喋ることと、3つのことを1語で言い尽くしているところは、「人形の魚」などよりもはるかに面白い。さて、昔の好人が罪なくて配所の月を見たいと言ったが、世は何の因果か、先日長々と監獄で月を見た。
昨今また月を鑑賞するといって柴庵を訪ねたところ、いったい人魚とはあるものかと問われたのが運の月、ずいぶん入監の一件で世話も掛けているお返礼に、「人魚の話」を述べる。
寺島の『和漢三才図会』に、『和名抄』に『兼名苑』を引いて、「人魚、一名□(※魚+夌※)魚(りょうぎょ)、魚身人面であるものである」とある。この『兼名苑』という書は、今は亡びた支那の書だと聞くが、予は『淵鑑類函』にこの書を引いているのを見出したので、今も存在するのであろうか。
普通に□(※魚+夌※)というのは、当町の小学校にも蔵する□(※魚+夌※)鯉(りょうり)また穿山甲(せんざんこう)といって、台湾、インドなどに住み、蟻を食う獣じゃ。インド人は媚薬にするが、漢方では熱冷ましに使った。人面らしいものではない。たとえそうあったところで、人面魚身とあるのは、昨今ありふれた人面獣心よりもましじゃ。
さて、『本草綱目』に、「謝仲玉という人が婦人が水中に出没するのを見ていたところ、腰以下みな魚であった」とある。定めて力を落としたことだろうが、そんなところに気が付く奴にろくな者はいない。また査道は高麗に奉使し、海砂中にひとりの婦人を見たが、肘の後ろに紅の鰭があった。これらはふたつとも人魚である、と言っている。『諸国里人談』にも、我が国で鰭のある女を撃ち殺し祟りがあった、と載せている。
また寺島氏は「推古帝27年摂州の堀江に物がいて、網に入る。その形は子供のようで、魚でなく人でなく、名前がわからない」といった文を人魚として載せているが、これは山椒魚のことだろう。形はあまり似ていないが、鳴き声が赤子のようだから、前年京都で赤子の怪物と間違えた例もある。山師連中がこれにシュロの毛を被せ、「へい、これは丹波の国で捕まえました、河太郎でござい」、「見ないことには話にならない、こんな妙な物を1銭で見られるのもひとえに大師様のお引き合わせ、まったく今の和尚様がえらいからだ」などと、高山寺などでやらかすのだ。すでに山椒魚に近い鯢(げい)というものの一名を人魚と呼ぶことが支那の書に見える。
さて、寺島氏は続けて言う「今も西海大洋中に、まま人魚がいる。頭は婦女に似て以下は魚の身。粗い鱗で、浅黒くて鯉に似ている。尾に股がある。両の鰭に水掻があり、手のようである。脚はない。暴風雨の前に現われ、漁夫が網に入れても怪しんで捕えない」。
また言う「オランダでは人魚の骨を倍以之牟礼(へいしむれ:ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の意味である)と名づけ、解毒薬とする。神効があり、その骨を器に作って、佩腰(ねつけ)とする。色は象牙に似て濃くない」と。
たしかに二、三百年前、人魚の骨はずいぶん南蛮人に貴ばれ、したがって我が国にも輸入され珍重された物だった証拠は、大槻磐水の『六物新誌』でも図入りで列挙してあるが、いま忘れてしまったので、手近い原書から棚卸しすると、1668年(寛文8年)マドリド版、コリン著『フィリピン島宣教志』80頁に「人魚の肉を食う、その骨も歯も刀傷に神効がある」とある。
それより8年前出版のナヴァレッテの『支那志』に「ナンホアンの海に人魚がいる。その骨を数珠とし、邪気を避ける効があるとしてたいそう尊ぶ。その地の牧師フランシスコ・ロカより驚き入ったことを聞いた。ある人が漁をして人魚を捕まえ、その陰門が婦女と異ならないのを見て、就いてこれを婬し、はなはだ快かったので翌日また行って見ると、人魚はその場所を去っていなかった。よってまた交接する。このようにして7ヶ月間1日も欠かさず相会したが、ついに神の怒りを恐れ、懺悔してこのことを止めた」とある。
マレー人が人魚を多く養い、毎度就いて婬し、またその肉を食うことはしばしば聞き及んでいる。こんなことを書くと、読者の内には。心中「それは俺もしたい」と渇望しながら、外見を装い、さても野蛮な風習だなど笑う奴がいるが、得てしてそんな輩に限り、節穴でも辞退し兼ねぬ奴が多い。
すでに我が国馬関辺では、アカエイの大きなのを捕えて砂上に置くと、その肛門がふわふわと呼吸に連れて動くところへ、漁夫が夢中になって抱きつき、これに婬し、終わるとまた他の男を呼び、喜びを分かつのは、一件上の社会主義とでも言うことができ、どうせ売って食ってしまうものなので、姦し殺したところで何の損にもならない。情欲さえそれで済めば一同大満足で、別に仲間以外の人に見せるのでもないので、何の猥褻罪も構成しない。かえってこの近所の郡長殿が、年にも恥じず、鮎川から来た下女に夜這いし、細君がカタツムリの角を怒らせ、下女は村へ帰っても、若衆連中が相手にしてくれないなどに比べれば、はるかに罪のない話である。