毛利清雅(もうり せいが)
毛利清雅(1871年〜1938年)。高山寺住職、「牟婁新報」社主。
「牟婁新報」を創刊し、地域のために筆を振るい、政界にも進出。田辺町会議員、
和歌山県会議員を務めました。
南方熊楠(1867年~1941年)の盟友。
毛利清雅(1871年〜1938年)。高山寺住職、「牟婁新報」社主。
「牟婁新報」を創刊し、地域のために筆を振るい、政界にも進出。田辺町会議員、
和歌山県会議員を務めました。
南方熊楠(1867年~1941年)の盟友。
南方熊楠の手紙:フィラデルフィアの顕微鏡(現代語訳4)
こんな騒動で毛利氏も和歌山市まで帰っているけれど,今だ当地へ帰ってこない。新聞社の職工6名がストライキを起こし、数日前騒動、ようやく2名帰ってきて、昨夜出すべき新報を今夜配達したようなことである。
南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(現代語訳2)
ゆえに今後は県下で合祀反対の大将は毛利氏で、 諸市町郡の新聞記者、政治家がこれに同意し、中村代議士も今月中には帰県し、相変わらず議論を続けることと存じます。
南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(現代語訳2)
毛利氏は県会議員になり、ただ今和歌山にいて、なかなかの勢いで、第一に議員及び官吏の旅行手当を削減し、次に大水の防ぎに県有林というものを諸郡の水源近くに設け、濫伐を防ぐ議案を通過させました。
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