人魚の話(現代語訳4)

人魚の話(現代語訳)

  • 1 人魚
  • 2 落斯馬論争
  • 3 ジュゴン
  • 4 人魚の乾物,八百比丘尼

  • 人魚の乾物、八百比丘尼

     

    人魚の乾物
    Mermaid Mummy / rvacapinta

     岩倉公らの『欧米回覧日記』に、往時オランダへ日本より竜と人魚の乾物を渡したが、解剖して後ようやくその人造であることを知り、人々が大いに日本人の機巧に驚いた、見える。動物学の大家クヴェーがかつてロンドンで人魚の見世物が大評判であったことを「予も人魚という物を見たが、小児の体で口に鋭い歯のある魚の顎を嵌め、四肢の代わりにトカゲの胴を用いていた。ロンドンで見世物にしたのはサルの体に魚の後部を付けたものである」と記している。

    予も本邦また海外諸国でしばしば人魚の乾物を見たが、いずれもサルの前半身へ魚の後半身を巧みに添え付けたものである。支那の古史に小人の干物ということが見える。思うに、サルの乾物をもって偽り称したが、後には流行らなくなり、ついに魚身を添えて人魚と称するようになったのか。

    和漢三才図会』などに、「若狭小浜の空印寺に八百比丘尼の木像がある。この尼は、むかし当寺に住み、800歳であったが、美貌は15、6歳くらいであった。これは人魚を食ったことによる」とある。嘘八百とはこれより始まったのだろうか。思うに、ジュゴンは暖地の産で、若狭などにいる物ではないが、海狗などの海獣で、多少人に類した物を人魚と呼び、その肉に温補の効があれば、長生の妙験があるなど言い伝えたのであろうか。

     とにかく、人魚ということが本邦で古くから言い話した証拠は、「法隆寺の古記」という『嘉元記』に、「人魚出現のこと。ある日記にいわく、天平勝宝8年(今から1154年前)5月2日、出雲国ヤスイ浦へ着く。宝亀9年4月3日、能登国珠洲岬に出て、文治5年8月14日、安芸国イエツの浦に出て、延慶3年4月11日、若狭国小浜の津で引き上げて、国土がめでたかった。真仙と名づける(何のことかわからないが、多少八百比丘尼に関係があるらしい)。延文2年卯月3日、伊勢国二見の海に出て、長久なるべし。延命寿と名づける。以上、6度出て、云々」とある。

    また人魚を不吉とした例は、『碧山日録』に、「長禄4年6月28日。ある人が言うことには、このごろ東海の某地で異獣が出る。人面魚身で鳥の足である。京に入って妖をなそうとする。人はみなあらかじめ祓事を修め、災いを祓うという」とある。まだまだ書くことがあるが、監獄で気が張っていた奴が、出てから追々腰が痛くなり、昨今はなはだ不健全なので、ここで話を止める。

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    「人魚の話」は『南方熊楠コレクション〈第3巻〉浄のセクソロジー (河出文庫)に所収。

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