ちょっと解説
「神社合祀に関する意見」は、熊楠が神社合祀反対運動への協力を求めて東京帝国大学農学部教授の白井光太郎氏に宛てた書簡に含まれた文章。
明治39年に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は熊野に壊滅的なまでのダメージを与えました。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙いました。
熊野信仰は古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立った、ある意味「何でもあり」の宗教ですから、合祀の対象となりやすかったのだと思います。村の小さな神社が廃止されただけでなく、歴代の上皇が熊野御幸の途上に参詣したという歴史のある熊野古道「中辺路」の王子社までもが合祀され、廃社となりました(田辺から本宮までの「中辺路」で合祀滅却されずに済んだ王子は、なんと滝尻王子と八上王子の2社のみ)。
五体王子のひとつとして格別の尊崇を受けた稲葉根王子や発心門王子でさえ合祀されたのです。小さな神社や王子社のほとんどが合祀され、神社林は伐採されました。
神社合祀の嵐が熊野に吹き荒れるなか、神社合祀反対運動に立ち上がったのが南方熊楠です。この「神社合祀に関する意見」もその運動の最中に書かれた文章です。
熊楠はこの文章のなかで、前代未聞のエコロジー思想を展開しています。まだ環境問題がほとんど問題でなかった明治の時代に、熊楠のエコロジー思想は、自然生態系のエコロジーを説き、精神のエコロジーを説き、社会のエコロジーを説き、3つのエコロジーが一体となって展開されています。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収
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