(三重県における合祀の弊害) 現代語訳はこちら
拙見をもってすれば、従来神恩を戴き神社の蔭で衣食し来たりし無数の神職のうち、合祀の不法を 諤議(がくぎ)せるは、全国にただ一人あるのみ。伊勢四日市の諏訪神社の社司 生川(なるかわ)鉄忠氏これなり。この人、四十一年二月以降の『神社協会雑誌』にしばしば寄書して、「神社整理の弊害」を論ぜる、その言諄として道理あり。今その要を撮し、当時三重県における合祀の弊害を列挙せん。
いわく、従来一社として多少荘厳なりしもの、合祀後は見すぼらしき脇立小祠となり、得るところは十社を一社に減じたるのみ。いわく、従来大字ごとになし来たれる祭典、合祀後は張り合いなし、するもせぬも同じとて全く祭典を廃せる所多し。
いわく、合祀されし社の氏子、遠路を憚り、ことごとく合祀先の社へ参り得ざるをもって、祭日には数名の総代人を遣わすに、多勢に無勢で俘虜降人同然の位置に立つをもって、何のありがたきことなく早々逃げ帰る。言わば合祀先の一大字のみの祭典を、他の合祀されたる諸大字が費用を負担する訳になり、不平絶えず。
いわく、合併社趾の鬱蒼たりし古木は、伐り払われ、売られ、代金は 疾(と)くに神事以外の方面に流通し去られて、切株のみ残りて何の功なし。古木などむやみに伐り散らすは人気を荒くし、児童に、従来あり来たりし旧物一切破壊して悔ゆることなかるべき危険思想を注入す。
いわく、最も不埒なるは、神殿、拝殿等、訓令の制限に合わぬ点を杉丸太で継ぎ足し、亜鉛葺き等一時 弥縫(びほう)をなし、いずれ改造する見込みなり、当分御看過を乞う等で、そのまま放置する。
いわく、多年等閑に付し来たれる神社を、一朝厳命の下に、それ神職を置け、基本金を積めと、短兵急に迫られし結果、氏子 周章(しゅうしょう)、百方工夫して基本金を積み存立を得たるも、また値上げ、また値上げとなり 底止(ていし)するところを知らず。造営までなかなか手が届かぬを 定規(ていき)に背くとて無理に合祀するは 苛刻(かこく)もはなはだし矣。
いわく、神官の俸給を増し与えたりとて、即刻何の効験、化育の功績も目に見えるほど挙がらず。従前と変わりしこともなければ、氏子また策を運らし、俸給を定規より少なく神職に与え、ないよりは増しだろう、ぐずぐず言わば合祀するぞ、と今度は氏子より神職を脅し、実際は割引で与えながら規定の俸給を受けおるような受取証を書かすこと。
熊楠いわく、むかしより伊勢人は偽り多しと言うので、仮作の小説たるを明示するため『伊勢物語』と言う書題を設けたと申す。まことに本家だけあって、三重県の 御方々(おんかたがた)には格別の智恵がある、和歌山県に行なわるる合祀の弊害はことごとく生川氏の指摘せるところに異ならぬが、神職の俸給を割引して受取書を偽造させるようなものは、いまだ和歌山県に聞き及ばず。しかし、追い追いは出で来るならん。
生川氏、結論にいわく、右のごときはただ 埒明的(らちあきてき)合祀にて、神社の整理か縮少か 将(はた)破壊か、かかる神社と神職とに地方自治の中枢たらんことを望むは間違いもはなはだし、これを神道全体の衰頽と言うべしと断ぜられたるは、まことに 末(すえ)を見透せし明ありと嘆息の外なし。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収