(神社合祀の悪結果 第2) 現代語訳はこちら
第二に、神社合祀は民の和融を妨ぐ。例せば、日高郡
御坊(ごぼう)町へ、前年その近傍の漁夫が命より貴ぶ
夷子(えびす)社を合併せしより、漁夫大いに怒り、一昨夏祭日に他大字民と市街戦を演じ、警吏等の力及ばず、ついに主魁九名の入監を見るに及び、所の者ことごとく合祀の余弊に
懲(こ)り果てたり。わが邦人宗教信仰の念に乏しと口癖に言うも、実際合祀を濫用して私利を計る官公吏や、不埒千万にも神社を潰して大悦する神職は知らず、下層の民ことに漁夫らは信心はなはだ堅固なる者にて、言わば兵士に信心家多きごとく、日夜
板(いた)一枚の命懸けの仕事する者どもゆえ、朝夕身の安全を
蛭子(えびす)命に祷り、漁に打ち立つ時獲物あるごとに必ずこれに拝詣し
報賽(ほうさい)し、海に人落ち込みし時は必ずその人の罪を
祓除(ふつじょ)し、不成功なるごとに罪を懺悔して改過し、尊奉絶えざるなり。しかるに
海幸(うみさち)を守る蛭子社を数町
乃至(ないし)一、二里も陸地内に合併されては、事あるごとに祈願し得ず、兵卒が将校を
亡(うしな)いしごとく歎きおり、ために合祀の行なわれたる漁村にはいろいろの淫祀が代わりて行なわれており、姦人の乗じて私利を営むところとなる。これ
角(つの)を
直(ただ)さんとして牛を殺せるなり。
学者や富豪に奸人多きに引きかえ、下民は常に命運の薄きを嘆くより、したがって信心によって諦めを
啓(ひら)かんとする念深く、何の道義論哲学説を知らぬながらに、姦通すれば漁利
空(むな)し、虚言すれば神罰立ちどころに至ると心得、ために不義に陥らぬこと、あたかも百二十一代の至尊の御名を暗誦せずとも、誰も彼も皇室を敬するを忘れず、皇族の芳体を
睨(にら)めば眼が潰るると心得て、五歳の
髫※(ちょうしん)も不敬を行なわぬに同じ。むつかしき理窟入らずに世が治まるほど結構なることなく、分に応じてその施設あるは欧米また然り。フィンランド、ノルウェーなどには、今も地方に吹いたら飛ぶような木の皮で作った紙製[#「紙製」に〔ママ〕の注記]の礼拝堂あり。雪中に一週に一度この堂に人を集め、世界の新聞を報じ、さて郵便物の配布まで済ませおる。老若男女打ち集い歓喜限りなし。別に何たるむつかしき説法あるにあらず。英国なども、漁村には漁夫
水手(かこ)相応の手軽き礼拝堂あり。これに詣る輩むつかしき作法はなく、ただ命の洗濯をするまでなり。はなはだしきは、コーンウォール州に、他州人の破船多くて獲物多からんことを祈り、立てた寺院すらあるなり。それは過度ならんも、漁夫より漁神を奪い、猟夫より山神を奪い、その祀を滅するは治道の要に合わず。いわんや、山神も海神もいずれもわが皇祖の御一族たるにおいてをや。神威を滅するは、取りも直さず、皇威に及ぼすところありと知るべし。
西洋に上帝を引いて誓い、また皇帝を引いて誓うこと多し。まことに聞き苦しきことなり。わが国にも『折焚く柴の記』に、何かいうと八幡神などの名を引いて誓言する老人ありしを、白石の父がまことに心得悪しき人なりと評せしこと出でたり。されば、梵土には表面梵天を祀る堂なし。これ見馴れ聞き馴るるのあまり、その威を
涜(けが)すを畏れてなり。近ごろ水兵などが、畏き
辺(あた)りの御名を呼ばわりて人の頭を打ち、また売婬屋で
乱妨(らんぼう)などするを見しことあり。言わば大器小用で、小さき民や小さき所には、たとい誓言するにも至尊や大廟の御名を引かず、同じく皇室御先祖の
連枝(れんし)ながらさまで大義に触れざる
夷子(えびす)社や山の神を手近く引くほどの準備は
縦(ゆる)し置かれたきことなり。教育到らざる小民は小児と
均(ひと)しく、知らずして罪に陥るようのこと、なるべく防がれたし。故に、あまりに威儀厳重なる大神社などを漁夫、猟師に押しつくるは事件の基なり。
また日高郡
原谷(はらたに)という所でも、合祀の遺恨より、刀で人を刃せしことあり。東牟婁郡
佐田(さだ)および
添(そえ)の
川(かわ)では、一昨春合祀反対の暴動すら起これり。また同郡
高田(たかだ)村は、白昼にも他村人が一人で往きかぬるさびしき所なり。その
南檜杖(みなみひつえ)大字の天王の社は、官幣大社
三輪(みわの)明神と同じく社殿なく古来老樹のみ立てり。しかるに、社殿あらば合祀を免ると聞き、わずか十八戸の民が五百余円出し社殿を建つ。この村三大字各一社あり。いずれも十分に維持し来たりしを、四十一年に至り一村一社の制を振り
舞(まわ)し、せっかく建てたる社殿を潰し他の大字へ合祀を命じたるに、何の大字一つへ合祀すべきか決せず。四十三年二月末、郡長その村の神社関係人一同を郡役所へ招き、無理に合祀の位置を郡長に一任と議決せしめ、その祝賀とて新宮町の三好屋で大宴会、酒二百八十余本を飲み一夜に八十円費やさしめ、村民大不服にて合祀承諾書に調印せず。総代輩困却して
逃竄(とうざん)し、その後召喚するも出頭せず。よって警察所罰令により一円ずつの科料を課せり。かくて前後七回遠路を召喚されしも、今に方つかずと、神社滅亡を喜悦するが例なるキリスト教徒すら、官公吏の亡状を厭うのあまり告げ来たれり。これらにて、合祀は民の和融を妨げ、加えて官衙の威信をみずから損傷するを知るべし。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収