(心理6)
一九〇四年ベルリンで大評判だった「伶俐なハンス」てふ馬は種々不思議の芸を演じ、観客麕集ついに警官出張してその通行を遮るに及んだ。今日は火曜だが一週の第何日に当るかとか、時計を示して何時何分なりやとか、見物の人数やら人の身長などまで問われて答え中らぬはなかった。
当時スツムプ教授これを実地精査した報告の大要はこの馬を「考える馬」と呼ぶは言実に過ぎたりで考思の力は毛頭ないが観察力は人も及ばぬ。ところへ主人また非常の辛抱もて四年間仕込んだので、一問出るごとに馬が狐狗狸然と蹄で土を敲いてその数で答える。その実何の考えもなく敲き続くるうち問う人の動作を視てたちまち止まるので、当人が見分け得ぬ隠微の動作に細かく注意して見逸さぬところは驚嘆に余りありとあった。
それより十二、三年前ロンドンの観場を流行らせた奇馬マホメットは加減の勘定し観客を数え人の齢をほぼ中てなどした。ジョセフ・ミーハン師その使主より秘訣を聴いたはこの馬を使主が対視するとたちまち地を掻き始め、下を見るとたちまちやめ、また使主の音声の調子を聴き分けて頭を下げたり振ったりするよう仕込み、それから演繹して雑多の珍芸を発展させたので、この馬が天才なるを見出し数年間その傍に眠ってまで教練しただけが取り処でしょうと言ったそうだ。
ミ師は牧人が群羊を一縦列にして追い入るに二十疋過ぐるごとに一吠えする犬あり、かたがた動物に全く数を知るものなしと信ぜぬが、「考える馬」などは馬が計算を能くする証拠とならず、むしろ一種の眼眩ましだと論じた。世間に尤不思議なようで実はこの通り詰まらぬ事が多い。
予十三、四の頃中学校にありて僚友が血を吐くまで勉むるを見て、そんなにして一番になったところで天下が取れるでなし、われはただ落第せず無事に卒業して見すべしと公言したが果してそうだった。而して試験ごとに何の課目も一番早く答紙を出して退場し虫を採って自適するを見て勉強せずに落ちぬは不可解と一同呆れた。
これも実は観察力が強かったからで、十歳の時『史記』の講義を聴くに田忌千金を賭け逐射した時孫子忌に教えてその下駟と敵の上駟と与さしめ無論一度負ける、次にその上駟とかの中駟と、その中駟とかの下駟と競争させて二度ながら勝って千金を得せしめたそうだ。
由って思案の末課目が十あるうち作文と講義は得手物で満点と極まっており、総点数の五分一得れば落第せぬ定め故、他の八課の答えは直ちに白紙を差し出し件の二課は速くやって退け十分安心して遊び廻った。その時一、二番だった人の成り行きを見るに果して国を取ってもおらぬから、われながら先見の明に感じ入り当時虫を採って自適したのを想い出すだけでも命が延益す。教育家ども何と評する。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収