(性質2)
『大英百科全書』またいわく、馬属の諸種外形の著しく相異なるごとく、心性もまた大いに差う。諸種を解剖してその脳を比較すると大抵相似居るのに、かくまで心意気が懸隔するも不思議だ。驢の忍耐強き、馬の悍強き、騾の頑牢なる、共に古より聞えた。七、八種もある馬属中馬と驢のみ測るべからざる昔より人に豢われてその用を足した事これ厚きに、その他の諸種は更に懐かず、野生して今にんだも奇態だ。
ただしこれら諸種の心性、本来人に豢われるに適せずしてしかるか、将た人が馬と驢を飼い擾すに、幾久しく辛抱強く力を尽くしたが、他の諸種には尽力が足りなくって、かくのごときかは一疑問だ。けだし今日の馬と驢が、既に出来るだけの諸役に立っており、新たに他の種を仕付けて使わねばならぬような、格段の役目がない故、新種を飼い擾すに十分力が出ぬのじゃろう。
すなわち馬と驢が、数千代の永い間仕付けられて、ますます有用の度を加え居るところへ、一朝山出のゼブラやドーをいかほど急いで仕込んだって、競走の見込み絶無ならずやとはすこぶる名言で、獣畜の上のみでなく、人間教育の上にも、大いに参考になるようだ。
アストレイの書(上に引く)三巻三一〇頁に、ポルトガル王が、ゼブラ四疋に車を牽かせたと記し、往年英人ゼブラに乗り課せた者あると聞いた。古カルデア人が、オナッガに戦車を牽かせ、韃靼人は、キャングを飼い擾す事あり(マスペロ『開化の暁』英訳七六九頁、ウッド『博物画譜』巻一)。
『史記』の匈奴列伝に、匈奴の先祖が、馬と驢のほかに、多少の野生種を馴養した記事あるは上に引いた。して見ると、馬と驢のほかにも、随分物になる種もあるに、馬と驢で事足る上はとて、別段力をその馴養に竭さなんだので、その上野驢や花驢の諸種は、専らその肉を食いその皮を剥がんため、斟酌なく狩り殺さるるから、人さえ見れば疾走し去るのだ。中阿や南阿の土人が、象と花驢甚多かった時、これを馴らし使う試験を累ねず、空しくこれを狩り殺したは、その社会の発達を太く妨げた事と惟う。
『大英百科全書』またいわく、時として家馬の蹄の側に、蹄ある小趾を生ずる事あり。稀にはまた三、四趾を駢び生ずるあり。学者馬の祖先の足に三、四趾あった当時の旧態に復って、かくのごとしと説くが通例だが、篤と調べるとそうでなく、かかる多趾の馬の足は、ヒッパリオンやアンキテリウムなど、過去世の馬の多趾な足に似ず、全く手足が一本多過ぎたり指が六本あったりの人と同じく、畸形不具者に過ぎずと。『甲子夜話』続編七六、両国橋見せ物に六足馬絵ける看板を掛く、予人をして視せしむるに、足六なるにあらず、図のごとく真に六脚あるにあらず、前蹄に添いて、わずかに足末を生ぜるまでなり、羽州三春に産せりという(第四図[#図省略])とあるが、その図を見れば、いかにも人の六指に対して六足ともいうべき畸形らしく、第二図と比べば、馬の祖先の多趾なると様子が異なるを知らん。
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「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収