(虎に関する信念3)
『山海経』など見ると、上古から虎身とか虎頭とかの神や怪物が支那に満ちおったらしい、例せば『呂覧』に載せた和山の吉神泰※[#「ころもへん+逢」、68-5]、状人のごとく虎の尾出で入るに光あり、能く天地を動かし雲雨を興す、小説『西遊記』などに虎の怪多きを見て、いかに支那人が深く虎を不思議としたかが分る。
スマトラ島人は死人の魂虎に托ると信じ、虎の名を聞くも畏敬する、したがって必死で正当防禦か親族友人が虎に殺された当場へ行き合せた場合でなくんば、いかに重宝を受けても虎を討たぬ、欧人が虎捕らんとておとしを仕掛けると、夜分土人そこへ之き、虎に告げる体でこれは私らがしたんでない、全く我らの同意なしに毛唐人がしたのでござると言って帰るそうだ(マースデンの『スマトラ史』二九二頁)。
ジャワでは虎人を苦しめぬ内は祖父また老紳士と尊称してこれを崇める、多くの村に村虎一頭あり、村の某が死んで虎になったとその人の名を充てる、村人が獣を殺すと残肉を食い言わば村の掃除役だが、万一村の人畜を害うと一同これを撃ち殺す(ラッツェル『人類史』一)。
支那で鬼と号づけて虎に食われた人の霊が虎に附き添い人を導いて人を殺させ、また新しい死人の衣を解くと信じ、インドにもこの話あり(『日本及日本人』一月号二三二頁)。ランドの『安南民俗迷信記』に安南にもかかる迷信行われ、鬼が棄児の泣き声など擬して道行く人を虎のある所へ導き殺し、殊に自分の親や子の所へ虎を案内する、依って虎に食われた者の家には強勢な符を置いてこれを防ぎ、虎に殺された者の尸を一族の墓地に埋めぬとある、また正月ごとに林地の住民豕一疋に村の判を捺した寄進牒を添えて林中に置くと、虎が来て両ながら取り去る、しからざる時はその村年中人多く啖わるとある。
それからアジアの民族中には虎をトテムと奉ずる者がある、例せばサカイ人に虎をトテムとするがある由(一九〇六年版スキートおよびプラグデン『巫来半島異教民種篇』)。トテムとは、一人また一群一族の民と特種の物との間に切っても切れぬ天縁ありとするその物をトテム、その信念をトテミズムと名づくる、その原因については諸大家の学説区々で今に落着せぬ(大正二年版『ゼ・ブリタニカ・イヤー・ブック』一六〇頁)。原因は判らぬが昔トテミズムが行われた遺風を察して、その民の祖先がトテムを奉じたと知り得る。すなわち虎を祖先と信じ虎を害うを忌み、虎肉を食うを禁じ、虎を愛養したり、虎の遺物を保存したり、虎の死を哭したり礼を以て葬ったり、虎を敬せぬ者を罰したり、虎を記号徽章したり、虎が人を助くると信じたり、虎の装を著けたり、虎の名を人に附けたりするはいずれも祖先が虎をトテムと奉じた遺風だ(ゴム『史学としての民俗学』二八三頁に基づく)。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収