(話の本文8)
秀郷が、竜宮から得た巻絹や俵米は尽きなんだが、一朝麁忽な扱いしてから出やんだちゅう談に似た事も、諸邦に多い。『五雑俎』十二に、〈巴東寺僧青磁碗を得て、米をその中に投ず、一夕にして満盆皆米なり、投ずるに金銀を以て皆然り、これを聚宝という、国朝沈万三富天下に甲たり、人言うその家にかの宝盆ありと〉、これは少し入れると一盃に殖えるので、無尽の米絹とやや趣きが差う。欧州には、金を取れども尽きぬ袋の話多く、例せば一八八五年版クレーンの『伊太利俗談』に三条を出す。『近江輿地誌略』三九、秀郷竜宮将来の十宝の内に、砂金袋とあるもこの属だろう。古ギリシアのゼウス神幼時乳育されたアマルティアてふ山羊の角を折ってメリッセウスの娘どもに遺り、望みの品は何でもその角中に満つべき力を賦けた(スミス『希臘羅馬人伝神誌名彙』巻一)。
仏説に摩竭陀国の長者、美麗な男児を生むと同日に、蔵中自ずから金象を生じ、出入にこの児を離れず、大小便ただ好く金を出す、阿闍世王これを奪わんとて王宮に召し、件の男名は象護を出だし、象を留むるにたちまち地に没せり、門外に踊り出で、彼を乗せて還った、彼害を怖れ仏に詣り出家すると、象また随い行き、諸僧騒動す、仏象護に教え象に向い、我今生分尽きたれば汝を用いずと言わしむると、象すなわち地中に入ってしまった、仏いわく昔迦葉仏の時、象護の前身一塔中菩薩が乗った象の像少しく剥げたるを補うた功徳で、今生金の大小便ばかり垂れ散らす象を得たとあるが、どんな屁を放ったか説いていない(『賢愚因縁経』十二)。
『今昔物語』六に、天竺の戒日王、玄奘三蔵に帰依して、種々の財を与うる中に一の鍋あり、入りたる物取るといえども尽きず、またその入る物食う人病なしと見えるが、芳賀博士の参攷本に類話も出処も見えず、予も『西域記』その他にかかる伝あるを知らぬ、当時支那から入った俗説じゃろう。ヒンズー教の『譚流朝海』に、一樵夫夜叉輩より瓶を得、これを持てばどんな飲食も望みのまま出来るが、破れればたちまち消え失せるはずだ、やや久しく独りで楽しんでいたが、ある夜友人を会し宴遊するに、例の瓶から何でも出で来る嬉しさに堪えず、かの瓶を自分の肩に載せて踊ると、瓶落ち破れて、夜叉のもとへ帰り、樵夫以前より一層侘しく暮したと出づ。
アイスランドの伝説に、何でも出す磨を試すとて塩を出せと望み挽くと、出すは出すは、磨動きやまず、塩乗船に充ち溢れて、ついにその人を沈めたとあり。『酉陽雑俎』に、新羅国の旁※[#「施のつくり」、138-7]ちゅう人、山中で怪小児群が持てる金椎子が何でも打ち出すを見、盗み帰り、所欲撃つに随って弁じ、大富となった、しかるにその子孫戯れに狼の糞を打ち出せと求めた故、たちまち雷震して椎子を失うたと見ゆるなど、いずれも俵の底を叩いて、米が出やんだと同じく、心なき器什も侮らるると瞋るてふ訓戒じゃ。
back next
「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収