(話の本文9)
それから、竜神が秀郷に送った無尽蔵の巻絹の因みに、やや似た事を記そう。ハクストハウセン(上に引いた書)がペルシアの俗談と書いたは、支那の伏羲流寓て、ある富んだ婦人に宿を求めると、卑蔑で断わられた。次に貧婦の小舎を敲くと、歓び入れてあるたけの飲食を施し、藁の床に臥さしめ、己は土上に坐し終夜眠らず、襦袢を作って与え、朝食せしめて村外れまで送った。
伏羲嬉しさの余り、その婦に汝が朝手初めに懸った業は、まで続くべしと祝うて去った。貧婦帰ってまず布を度し始めると、夕まで布尽きず、跡から跡から出続いたので、たちまち大富となった。
夜前伏羲を断わった隣の富家の婦聞いて大いに羨むと、数月の後伏羲また村へ来た、かの婦強いて自宅へ迎え取り食を供し、夜中自室へ蝋燭点し通夜仕事すると見せ掛け、翌朝予て拵え置いた襦袢を呈し、食を供えて送り出すと、伏羲前度のごとく祝した。悦んで帰宅の途中、布を度す事のみ念じて宅へ入る刹那、自家の飼牛が吼える、水を欲しいと見える、布を量る前に水を遣らんと水を汲んで桶から槽に移すに、幾時経っても、桶一つの水が尽きず、夥しく出続き家も畠も沈み、牛畜溺死し、村民大いに怒り、かの婦わずかに身を以て免れたとある。
一六一〇年頃出たベロアル・ド・ヴェルヴィルの『上達方』三九章にも似た話あって遥と面白い。いわくマルサスのバラセ町へ貧僧来り、富家に宿を求めると、主婦無情で亭主慳貪の由言って謝絶した。
次に貧家へ頼むと、女房至誠懇待到らざるなかったので、翌朝厚く礼を述べ、宿銭持たぬは残念と言うと、金が欲しさに留めたでないと言う、因って神に祈って、汝が朝し始めた事は何でも晩まで続くべしと祝して去った、女房一向気に留めず、昨日拡げ置いた布を巻き掛けると、巻いても巻いても巻き尽きず、手が触るごとに殖えて往く、ところへかの僧を門前払いにした婦やって来て、仔細を聞き、追い尋ねてやっとかの僧を見附け、わが夫の性がころりと改まったから、今夜情願拙宅へと勧めると、勤行が済み次第参ろうとあって、やがてついて一泊し、明朝出立に臨み前夜通りの挨拶の後、僧また汝が朝始めた業は昏まで続くべしと言って去った。
待ってましたと、大忙ぎで下女に布を持ち来らしめ、度に掛かろうとすると、不思議や小便たちまち催して、忍ぶべうもあらず、これは堪らぬ布が沾ると、庭へ飛び下りて身を屈むる、この時遅くかの時早く、行尿の流れは臭くして、しかも尋常の水にあらず、淀みに浮ぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて、暫時も停まる事なし、かの「五月雨に年中の雨降り尽くし」と吟んだ通り、大声々驟雨の井を倒にするごとく、小声切々時雨の落葉を打つがごとく、とうとう一の小河を成して現存すとは、天晴な吹きぶりじゃ。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収