田島担(たじま たん)
田島担(1872年〜1937年)。浜口梧陵の長男。
田島担と南方熊楠(1867年~1941年)はロンドンの中井芳楠邸で出会います。
熊楠は、田島担を大英博物館などに案内しています。
田島担はその後、ケンブリッジ大学に入学。1903年に同大学のペンブル
ック・カレッジを卒業。
帰国後,浜口姓で衆議院議員に。
富国銀行常務取締役、麒麟麦酒監査役、ヤマサ醤油取締役などを歴任。
田島担(1872年〜1937年)。浜口梧陵の長男。
田島担と南方熊楠(1867年~1941年)はロンドンの中井芳楠邸で出会います。
熊楠は、田島担を大英博物館などに案内しています。
田島担はその後、ケンブリッジ大学に入学。1903年に同大学のペンブル
ック・カレッジを卒業。
帰国後,浜口姓で衆議院議員に。
富国銀行常務取締役、麒麟麦酒監査役、ヤマサ醤油取締役などを歴任。
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳15)
予の友人に、釈宗演の弟子で田島担というのがいる。これは当国の豪商故浜口梧陵の長男である。ケンブリッジに留学したが、都合があって、中途で帰った。船中で洋人がこの人に仏徒は何人ほど世界にいるのかと問うた。これはじつは担氏の気に入られようとしていったことで、仏教は最も世界中に数多いと答えるのを待っていたのだ。それなのに担氏は答えて、「ちっとも知らないが、宗旨の深い浅い、広い狭いは、人数や寺の数でわかるものではない」といった。まことに名言である。
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