千里眼(現代語訳7)

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千里眼(現代語訳)

  • 1 変態心理学
  • 2 亡父の示現
  • 3 幽霊と夢
  • 4 死の学問
  • 5 姪の詠んだ和歌
  • 6 黒田孝高
  • 7 昔の人の所行

  • 昔の人の所行

     

     すべて人間はみな揃わないもので、唐太宗、宋太宗など、無前の賢主と言われながら、兄と兄の子を殺し、長孫無忌、□□良という名臣である者が自分の一族の勢力を張るために、公子、貴人を冤罪で殺し、ナポレオンという大気な者が、まだ弱冠の先朝の遺王子ジュク・ダアンギアンを殺したのを、名相で旧臣であったタリロンが知って知らない真似をした。

     なので『老人雑話』に、孝高が秀吉の命を聴かない真似をして、松田左馬助を殺さず、その父兄を刑したのは一生の勝事である、とあるのと同時に、宇都宮一族を惨殺したのは、この人にしてこんな酷い事があったと、世を驚かせたのであろう。はるか後に書かれた、松浦侯の『武功雑記』に、長政に城井の娘を離別せよと家老が勧めるのを聴かず、森但馬、野村太郎兵衛が城井の娘を盗み出し、殺し申し上げた、とあるのは、この惨事が世に広く聞こえ渡って、容易に磨滅しないため、ことさらにその跡を覆おうとして作り出したもののようだ。

     近ごろ一種の風潮を迎えて、昔の人はどうのこうのと褒め立てることが大流行だが、昔の人の所行に、今から考えれば一向に分からないことは多い。信長秀吉、氏郷、政宗など、名将にして子弟を殺した者はおびただしく、細川幽斎などはずいぶん学問のあった人であるが、娘婿一色を宴席で手討ちにしてその封を奪い、家康は孫娘婿を秀頼を亡ぼして、その幼子を殺させた。はなはだしいのは、『朝倉始末記』に、本願寺の下間(しもつま)・筑前兄弟が大官高位を望み、天下の武士を攻め亡ぼして本願寺の上人を天子とし、我が身は将軍と仰がれて、四海を呑もうとした由を筆した。

    なので、江村専斎の著書の結末に、池田、細川など、不義不仁の者の子孫が栄えて、加藤清正など律儀であった人の跡が絶えたのを嘆き、後年『鳩巣小説』に見える儒者岩田彦作が、天道はないものと断じたと同様の意を漏らした。さて、その律儀をもって称せられた清政すら、『夏山談義』によれば、花山僧正の石塔を取って、中を穿って茶亭の石灯籠にしたなど、不道の行いがある。徂徠が彼輩を、武勇の他に取りどころはないように評したのももっともである。

     父子兄弟をすら、利分のために殺害して顧みなかった世に、孝高父子が鎮房をあざむき殺し、その娘を酷刑したなどは有り内のことである。日南氏は、長政はすでに蜂須賀の娘を娶ったので、鎮房の娘を娶るはずがない、と言ったが、そのころ戦国の直後で、閨門の制に何の定規もなかったのは、秀吉が正室の木下氏がある上に、旧主の姪淀殿を妾とし、また政略上蒲生賢秀や前田利家の娘を娶ったことで知られる。これらは妾といえば妾であるが、事情より考えれば副妻とも言えるのだ。

    そのころ政略上の結婚が多かったのは、佐々醒雪氏の『日本情史』にも見え、城井鎮房は、関東八屋形の一、下野の名族宇都宮の別れで、『野史』によれば、鎮房滅後その領地を、下野の本家より無断で扱っていた咎により、征韓の際に秀吉の責めとがめを得て、本家も亡んだことと記憶する。とにかく由緒ある旧家なので、後日長政が家康の姪女久松氏を娶ったのと同様、正妻の有無に関せず、長政の副妻としたのであろう。

     また日南氏は、刑死の際、鎮房の娘が詠んだという歌が拙劣なのでとして、酷刑のことを嘘だとした。しかしながら刑死に臨んで辞世を残すのは、我が国のみならず、アラビア、グレナダ、支那、朝鮮にも、古今、例が多い。これより先、立野弥兵衛が芦名盛隆に降り、妻を人質に出したが、また叛いたのを盛隆が怒って、その妻を串刺しにしたとき、その女は「浅ましや身をば立野に捨てられて寝乱れ髪か串のつらさよ」と詠んで死んだという。和歌の巧拙は、必ずしも人物に相応しない。

    千利休などは当時風流の棟梁であったが、その辞世は「利休めが果報のほどぞ嬉しけれ菅丞相にならんと思へば」。室鳩巣がその最後の見事なのを褒めたのを、喜多村信節はさっぱりわからないと笑った。また惺□先生は、和歌の名家に生まれ内外の学に通じていると聞こえるが、その歌はてにはも違い、意味もわからないことが多い、契沖は言った。

    なので、婦女子で和歌の拙劣な者がいるのも怪しむに足りない。そのころ喧伝した、荒木の女房娘極刑の辞世、また秀次の妻妾20余人が殺される前に詠み置いた和歌などの中には、寝言のようなのも多く、他人のを盗んだようなものもある。和歌が上手でないといって、この人々が別嬪でないとも、辞世は虚構であるとも言い難い。

    々成て不在中に、長政が紀伊刑部少輔(鎮房)を討つ場面が書かれている。(※中略※)

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    「千里眼」は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) に所収。

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