千里眼(現代語訳1)

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千里眼(現代語訳)

  • 1 変態心理学
  • 2 亡父の示現
  • 3 幽霊と夢
  • 4 死の学問
  • 5 姪の詠んだ和歌
  • 6 黒田孝高
  • 7 昔の人の所行

  • 変態心理学

     

    夫婦杉
    大門坂 / み熊野ねっと

     1月30日の『大阪毎日』に、在ドイツ田中祐吉君の「欧州千里眼」という1編がある。氏は、これまで科学者の1人にして唯物論を主張したが、欧米諸家の書を読み、種々不可思議な現象を承認し、唯物論の信仰を放擲する、といわれる。今日の科学では十分説明のできないことが多いのは、予も熟知するところで、唯物論ばかりで宇宙の事情を解くことができないことも、また認めるが、千里眼ほどのことで、宇宙広大無辺の霊妙力などを引き言するのもいかがかと、他に多少の科学的解説は必ずあるだろうと思う。

     このようなことは、庸衆稠人中に漫然と喧伝される言葉を確信すべきではない。碩学大儒といえども、専攻の学問にのみ詳しくて、嘘偽りが百出する世間のことに疎いので、その論が必ず正しいとも思われない。要は自分でこれを実験するが一番正確である。よって予がみずから実験したところを述べる。

    12年前、予は大英博物館の植物部長ジョージ・モレイ氏に面会したが、氏がいうのに、日本の学術は、日将月就のありさまであるが、隠花植物の調査はなおはなはだ疎かであるのは惜しまれる、貴公、国に帰ったならば何とぞこのことに留意されたいことである、と。その翌年、予は帰朝したが、何といっても15年も不在であったことなので、
      その時に着てまし物を藤衣やがて別れになりにけるかな
    と周公も詠まれた通り、父母共に草葉の陰に埋まり、親戚にも知らぬ人ばかり多くなり、万事面白くないので、那智山に2年ばかり籠った。

    その間は多くは全く人を避けて言葉を語らず、昼も夜も山谷を分かちて動植物を集め、またかねて心掛けて持ち帰った変態心理学(サイキアトリ)の書を読み、生来女嫌いで女人と言葉を交えたことすら少なく(数年後40歳で始めて妻を娶ったが)、酒は大好きであるが、その辺に乏しいのが好都合で、この場所と機会を逸すべからず、居常世事を聴かず思慮を省き、いずれか霊妙のことをもできるかと、何となく打ち過ぎたところ、ずいぶん面白いことを見た。

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    「千里眼」は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) に所収。

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