姪の詠んだ和歌
また偶然にも面白いのは、当日予は日南に「むかしサー・ウォーター・ロリが獄中で歴史を編んで後世に伝えようと精を出していたところ、獄前で2人が争闘して1人が死ぬのを目撃し、翌日その現場に居合わせた獄吏とそのことを語ったが、前後全く相違して、獄吏の言うところがすこぶる根拠があったので、自分が正しく眼前で見たことすら、これほど事実と違う上は、百千年前の事実をどうして判断することができるだろうかといって、せっかく書き立てていた原稿を火に投じた」という一条の話をしたが、日南は感心していた様子であった、と予の日記に見える。
自身自前のことすら、この通り間違いの多い世の中だから、千里眼、幽霊などの珍事は他人の筆記などはなかなか宛てにならないと重ねて言っておく。
ついでに言う。「出て来た歟」の末段に、予の都々逸のことを載せてあるから、承りたいなどと言ってくる人がある。自分にはわからないことながら、さるやんごとなき御方が非常に秀逸だと褒めてくだされた拙作を、ひとつどどくり申す。声もなかなか旨いが、座右に蓄音機がないのが残念だ。イモリを紙に包んで美人に送るとて、
黒焼きになるたけ思ひを焦がして見ても佐渡の土ほど利かぬ物
また那智に籠居したとき、恩人の前ロンドン大学総長ディキンズ氏の叙爵の祝いに、何か銭のいらない、ぱっとしたことをと思って、勧修寺門跡長宥匡僧正等に請い、那智の滝に寄せた和歌の短冊を集めて贈った。その内に予の兄の娘の楠枝(くすえ)というのが、16歳で、英国の日本通どものことごとくが舌を捲いた名歌を詠んだ。
君ならで誰にか見せん楠(くす)が枝(え)を石となるまで洗ふ滝水
なんと世界的な歌詠みじゃ。今に舎利弗(※しゃりほつ。釈迦の十大弟子の1人※)でも孕んで長爪梵士に比すべきこの叔父をやりこめるかもしれない。