那智村(なちむら)
現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳24)
ましてや、維新後は我利我欲の者の巣窟であったので、伊勢に並んで旧儀を見るべきものは三山にははなはだ少ない。しかしながら三山を離れては、多少旧を考えることができるものがある。たとえば那智村の浜の宮の王子の社殿などは、五彩をもって描き、幸いに両部神道の社殿はいかなるものであったかを知ることができる。(小生の知人の中村、田代などという村人の抗議が激しく、今日まで合祀を免れている。)
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳1)
今日は希有の快晴、那智村の滝の祭りで、舵取りの心は神の心であると紀貫之が言ったように、村人はみな欲を離れて一生懸命に松明を振り歩く。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳2-7)
西牟婁郡5村、また東牟婁郡那智村湯川の猟師に聞いたことには、猟犬の耳が赤いのは、山姥を殺し、その血を自ら耳に塗って、後日の証拠とした犬の子孫として尊ばれると。
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