山の神
2年前、西牟婁郡近野村にて、予が発見した奇異のコケ Buxaumia Minakatae S. Okamura(※和名クマノチョウジゴケ)はその後再び見ることがなかった。よって昨年末、当国最難所と聞こえている安堵峰の辺に登り、40余日の久しき間、氷雨中にこれを探し求めたが見つからない。ついに、まことに馬鹿げた限りではあるが、山人輩の勧めに随い、山神に祈願し、もしこれを獲ればオコゼを献じようと念じたところ、数日の後、たちまちかのコケが群生している処を見出だした。
なので、山神はともかく、自分の子供に誓いに背く例を示すのは父たるものの道に背くものと慮り、田辺に帰ってただちにかの魚を購い、山神に贈ろうとして乾燥の最中である。その節、販魚の婦人に聞いたのは、山神が特に好むオコゼは、常品と異なり、これを山の神と名づけ、色がことに美麗で、諸鰭、ことに胸鰭が勝れて他の種より長く、漁夫が得るごとに乾しておくのを、山神祭りの前に、諸山の民が争って買いに来る。海浜の民は、これを家の入口に懸けて悪鬼を禦ぐ、と。
『東京人類学会雑誌』278号310頁〔「出口君の『小児と魔除』を読む」〕と、291号328頁〔「本邦における動物崇拝」〕に、予が、古えわが邦で狼を山神とした由の考説を載せた。したがって考えると、諸種のオコゼ魚、外に刺が多いけれど、肉は食うと美味い。オコゼをもって山神を祭るのはその基づくところ、狼が他の獣類に抜きん出て、これを啖い好むことが、猫の鼠におけるがごとくなのであろうか。世間好事の士、機会があれば、生きた狼について実際試験されることを切に望む。
安堵峰の辺でまた言い伝えるのは、山神は女形にて、山祭りの日、一山に生えている樹木を総数えするのに、なるべく木の多いよう数えようとして、一品ごとに異名を重ね唱え、「赤木にサルタに猿スベリ、抹香(まっこう)、香(こう)ノ木、香榊(こうさかき)」などと読む。樵夫はこの日、山に入れば、その内に読み込まれるといって、恐れて山に行かない。また、はなはだ男子が樹陰に手淫するのを好む、と。この山神は、獣類の長として狩猟を司る狩神と別物と見え、すこぶる近世ギリシアの俗間に信じられるナラギダイに似ている。
ナラギダイは野原と森林に住み、女体を具し、人はその名を避けて呼ばず、美婦人と尊称する。常に群をなして、谷間の樹下、寒流の辺に遊び、 好んで桃花の艶色をもって美壮夫を誘い、情事をなす。もし人がこれを怒らせれば、たちまち罰せられて不具、醜貌に変ずという(Thomas Wright, 'Essays on England in the Middle Ages,' 1846, vol. ii, pp. 283-284)。
アラチウスは、ナラギダイは古ギリシアのネレイダイより誤り出た、と言う。これはニムフスの一部である。ニムフスはもと童媛の意味、下等の自然神、女体で、森林、洞窟、河泉など、住処の異なるのに随い部類を分かつ。好んで男神と戯れ、また人とまぐわう。そして、その一部ドリャズの存在は、実に樹木盛枯の由るところと言った(Seyffert, 'A Dictionary of Classical Antiquties,' London, 1908, p. 420)。和歌に詠んだ山姫、吉野の柘(やまぐわ)の仙女(『類衆名物考』巻一八と三二ーに出る)など、古え本邦でニムフス相当の信念が行なわれたのを証すべく、女形の山神、山婆、山女郎など、今も話を伝えるのはその遺風と見える。